『2人のローマ教皇』の脚本は『ボヘミアン・ラプソディ』の人

 またNetflixの映画だけど、アンソニー・ホプキンスローマ教皇を演じた『2人のローマ教皇』のシナリオを書いたのは『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家アンソニー・マクカーテンで、このひとが抜群にうまいんだと思う。
 『2人のローマ教皇』は、13世紀のケレスティヌス5世以来719年ぶりに生前に辞任したベネディクト16世とそのあとを継いだフランシスコの対話劇だ。
 ベネディクト16世が辞任したころ、ローマカトリックは大きなスキャンダルで揺れていた。ひとつはバチカン銀行のマネーロンダリング、もうひとつは、2016年の映画『スポットライト 世紀のスクープ』で描かれた、聖職者による小児に対する性的虐待だった。そのときの映画のなかの調査では、全世界の司祭の5%が性的な虐待を行っていたとなっていた。
 カソリックの総本山が、色とカネのスキャンダルに塗れていた。スキャンダルというより、実のところは犯罪だった。
 この危機にあたり、異例の生前退位を決断したベネディクト16世の真意がどこにあったのかという流れと、その跡を継ぐことになる、後のフランシスコ、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が、かつて、イエズス会のアルゼンチン管区長だったころ、軍事独裁政権に対する姿勢を誤ったことについて、罪悪感に苛まれ続けている、その経緯を語る流れが、2人の対話劇の形に、見事にまとめられている。
 こういう対話が実際にあったかどうか知らないが、ふたりの教皇それぞれの抱える歴史的な闇の部分、バチカンのスキャンダルと独裁政権の弾圧という問題を、信仰の観点から対話劇に書き上げる力業は、さすがにあの『ボヘミアン・ラプソディ』で、フレディー・マーキュリーの生涯を、移民と同性愛とエイズの問題に絡めながら、ライブエイドの大団円に収斂させた脚本家の力量は、やっぱりホンモノだったということなのだろう。
 こういう題材を作品化する仕事は、一昔前なら、小説がになったことだったろう。今は、映画のそういう意味でのレベルがすごく上がっていると納得せざるえなかった。
 こう書いてしまうと、かたくるしい映画に思えてしまうかもしれないがそうではない。アンソニー・ホプキンスジョナサン・プライスのかけ合いがユーモラスで、観念的なことは少しも感じさせない。観終わった後、お昼だったこともあり、どうしてもピザが食べたくなってしまった。