GWには『あまろっく』と『悪は存在しない』を観た。
おそらくこの片方をいい映画だと思う人は片方はいい映画だと思わないかも。映画としての成り立ちがまるで違う、というか、映画の概念すら全く違うようにさえ思える。
ただ、どちらも監督の作家性が色濃く反映して感じられて小気味良い。
『あまろっく』は、笑福亭鶴瓶、江口のり子、中条あやみ、中林大樹、駿河太郎、佐川満男、松尾諭、と全員が生来の上方アクセントを話せる。
また、タイトルの「あまろっく」は尼崎閘門の愛称だそうで、舞台の尼崎は、もちろんダウンタウンの出生地。兵庫県ではあるのだけれども、北摂あたりよりはむしろディープな大阪に近い。
ストーリーは、監督の思い入れと芸達者な役者さんたちの存在感で泣ける話に仕上がってるんだけれども、そうまでくどく説明する必要があったかなと思うシーンも多く、その分、感情移入しにくく思った。
例えば、中条あやみと笑福亭鶴瓶の歳の差カップルのなれそめは、別に要らなくない?。財産目当てでないのは一目瞭然なんだし。ちゅうことは惚れた腫れたっちゅうことしかないんだし。
中条あやみと江口のり子の関係がどう揺れ動いていくかが重要なわけで、中条あやみの口からなれそめの話は別にこれと言って効果は生んでいないと思う。
阪神淡路大震災の描写もしっくりこなかった。前の嫁さんの中村ゆりが、阪神淡路大震災で亡くならなかったのは、この映画の原案から監督のフィクションであるかぎりちょっと疑問に思った。
松尾諭(鶴瓶さんの若い頃役)の「何で俺やないねや」って思いは、ホントは奥さんが震災で亡くなってないと、少なくとも映画的には説得力がない。何なら、中条あやみの両親も震災で亡くなってても不思議ではなかったのだけれども、そうすべきではなかったかと思う。
ただ、中林大樹の最後の選択には意表をつかれた。現実的に考えると他にいくらでも選択肢があると思えるのだが、映画的にはあれ以上の正解はなさそう。ひるがえって現実にもきっとあんな選択をする男前もいるんだろうなと思うと、他のすべての欠点にもかかわらず、後味はすごくよかった。
『悪は存在しない』は、濱口竜介監督のヴェネチア銀獅子賞受賞作。これはもう『ドライブ・マイ・カー』以来、とにかく濱口竜介演出を味わえれば、他はどうでもよい。
起承転結で言えば、起承転だけあって突然終わる感じがキレがあって良い。
言い方によっては淡々としてるとも言える展開だけど、なぜか片時も退屈しない。ウソがないからだと思う。フツーに見えるところも、異常に見えるところも、いずれにせよウソっぽくない。どうしてこんなにホントに見えるのか不思議でしょうがない。