ダンシング・ヴァニティ

ダンシング・ヴァニティ

ダンシング・ヴァニティ

今日は久しぶりに朝から晴れわたった。が、連休の最終日に街をうろついても碌なことになるまいと、読書なのである。このあたりは、独り者の気楽さだろう。
筒井康隆の最新作で、早くも名作の評判が立っている『ダンシング・ヴァニティ』を読んだ。
私は、あまり筒井康隆を読んでいない。このまえ読んだのは、『夢の木坂分岐点』で、読むのに難渋した。実験的なのだけれど、主人公が結局作家であるところに物足りないものを感じた。
実験についていうと、たとえば、商品開発の実験は研究室の外に出すものではない。一方で、大学での実験は、その成果を発表しなければならない。小説での実験はどちらなのか。たぶん、どちらの要素も持っていて、読む人によっては、実験そのものを楽しむことも出来るだろうし、実験が商品にするまで練れていないと不満に思う人もいるだろう。
私は、筒井作品に不慣れなせいもあり、『夢の木坂分岐点』では、実験が表に出すぎているようで楽しめなかった。むしろ、今回の『ダンシング・ヴァニティ』は、実験が商品化にこぎつけた思いがする。
筒井康隆のよい読者にとっては、この感想は不満だろうけど、つまり、筒井作品をほとんど読んでいないものもこの作品は楽しめたという意味である。
虚実の着かず離れずのその距離感が着きすぎても、離れすぎても白けてしまう。この小説では、岩佐又兵衛に関する詳細な論及が、虚実の距離感にうまく作用している。映画に譬えていえば、エキストラの気の抜いた演技から、あるいは、貧乏臭い特撮から、作品全体がぶち壊しになることがある。この作品では、そういう意味でのディテールを、岩佐又兵衛が支えている。
夢と現実の境が分からなくなる、その解釈もずっと深化しているように思った。小説的に説得力を獲得していると思う。
朝から読み始めて、昼までに読み終えているのが、面白かった証拠なのである。