皇室の名宝展

東京国立博物館は上野公園といっても辺縁にあって、わたしの在所からは交通の便を考えると、上野駅より根津駅からのほうが便利なくらいなのだ。
ただ、今回はどこかで道を間違えてしまった。いつの間にか不忍池の方まで歩いていてしまって、せっかくのアドヴァンテージを帳消しにしてしまった。
それでも、開場の五分後くらいについたのだけれど、「皇室の名宝展」がひらかれている平成館はもはや行列なのだった。早起きして来てよかったと思った。
今回この展覧会に来た目的は、伊藤若冲の「動植綵絵」全三十幅と、酒井抱一の「花鳥十二ヶ月図」全十二幅。これだけ目的がはっきりしていると多少混んでいても苦にならない。
動植綵絵」は明治になって相国寺から皇室の所蔵になった。この全幅が公開される機会はなかなかないだろうと思う。
そのなかの「薔薇小禽図」を見ていて、ふと光琳のかきつばたが頭に浮かんだが、若冲の反復する薔薇の花は、たぶん意図された装飾性ではない。
おそらく若冲の目には自然は装飾そのものとしか見えなかった。若冲にとっては薔薇ははじめから薔薇という装飾として存在していて、若冲の前ではすべてのものが荘厳と装飾を身にまとい、見得を切ったのだろう。葉の虫食いの穴さえも彼にはきっと意匠のひとつに見えたのだろう。
応挙の写生と光琳の装飾は若冲にとっては全く一致していた。なぜなら、彼の写生する自然ははじめから装飾そのものだったから。
鶏の若冲といわれるほど画題として鶏を好んだのも、きっと鶏がもっとも装飾的だったからなのだ。
酒井抱一の「花鳥十二ヶ月図」はそれに較べるといかにも江戸好みに見える。美は狂おしい氾濫を控え、人の暮らしに寄り添っている。
若冲が美の国の地獄めぐりだとすれば、抱一はその後の思い、汐が引いたあとに残された貝殻の美しさだろう。
光琳風神雷神図の裏に夏秋草図を描くことにこそこの画家の本領が発揮されていると思う。
他にも狩野永徳円山応挙、海北友松、谷文晁、岩佐又兵衛などとともに、長澤蘆雪の「唐子睡眠図」というのがあった。見るたびにこの人の線は天才的だと思う。
「西瓜図」という北斎の絵が一点。
こうやって並べてみると、対象に迫ろうという北斎の思いはずっと近代的だと思えた。