綾瀬寄席

knockeye2008-11-30

綾瀬市文化会館で綾瀬寄席というのがあったので、聴きにいった。先日、仕事帰りにたまたま寄ったスリーエフというコンビニでチケットが売っていた。
いろんな地方のいろんな市民会館で似たような催し物があると思うが、演者が柳家小三治。そして、上方から桂吉弥も来る。徒歩圏内にこの顔ぶれ。棚からぼた餅といおうか。
というのは、今月のあたまに横浜にぎわい座柳家小三治の独演会があったので、行くつもりにしていたのだけれど、気がついたらチケットが売り切れていた。なめちゃいかんのだった。知ってる人は知っている。

演目は、

桂吉弥 「ちりとてちん
桂平治 「源平盛衰記

中入

三遊亭小円歌 「三味線漫談」
柳家小三治 「宿屋の富」

であった。

桂吉弥はこのあたりまで来ると、ってこのあたりってどのあたりということになるのだけれど、綾瀬文化会館のあるあたり、これはなかなかの田舎である。富山市民ホール(だったかな)で米朝一門会を聴いた事があったが、もちろんあちらの方がはるかに都会だ。
黒部のコラーレで、古今亭志ん朝を聴いた事があるが、周囲の感じはあれに近いと思う。立山連峰が見えるか見えないかの違いで。ただ、人のいりはこちらの方が圧倒的によい。二階席まである広い会場がほぼ満席であった。
「たくさんのお運びで・・・。このへんにこんなに人がいたとは。」と、小三治師は言ったのである。
ちなみに、中入後の小円歌さんは黒部にも志ん朝師匠と来られていた。すらりと背の高い、小またの切れ上がったいい女で(遠目にではあるが)志ん朝師匠の出囃子である「老松」を披露した。「今にもそこから志ん朝師匠が出ていらっしゃいそうですね」と。
考えてみると、綾瀬あたりになると、上方落語のホームグラウンドでないことは確かながら、江戸落語の地元なのかどうかはっきりしない。その他の地方都市のひとつと思うべきなのかもしれなかった。
吉弥の「ちりとてちん」は、貫地谷しほり主演のNHK朝の連続ドラマのタイトルにもなった噺。あの連ドラは好評であったらしい。私は見ていないし、あまり期待もしていなかった。というのは、本物の落語家が吉弥ひとりというのでは、スキルの面から考えてちょっとむずかしいだろうと思ったわけである。
ただ、貫地谷しほり演ずる女流落語家ががクイズ番組に出るシーンをチラッと見たのだけれど、この女優は「できる」と思った。
その後、小林信彦のコラムでもドラマ自体は何が面白いのかわからないが、と断った上で貫地谷しほりを誉めていた。
私が勝手にブックマークしている「ぐらんぼん」という個人の書評サイトでも、「ちりとてちん」は面白かったと書いているし、その後、NHKがスピンオフ企画も放映したので、好評だったということなのだろう。
吉弥の噺はこれが初めてであった。
ちりとてちん」は噺家の役だが、三谷幸喜が脚本を書いた大河ドラマ新撰組!!」では山崎烝を見事に演じきった、役者もこなせる人なので、少しリアリズムになりがちかという感じはした。演じられる人なので、演じてしまうのかもしれない。これは悪いことではないのだけれど、まくらの部分でもっと客にオープンになれるほうがよいと思う。
「よい」というのは、もちろん私の好みというにすぎないけれど。
桂平治というひとは、十代目桂文治のお弟子さんで「源平盛衰記」は師匠の十八番だったそうだ。私は初めて聴くのだけれど、平治さんそのひとの説明によると「地咄」というそうだ。源平合戦の様子を世相風刺を交えながら進めていく。本来は題名から考えてもそうとうな長講になるはずのものだろう。今回は、木曽義仲が登場したあたりで切りあげた。
柳家小三治師匠はいまや押しも押されもしない江戸落語の重鎮。江戸の落語家のなかでも、桂枝雀が意識していた人だと聞いている。
ちりとてちん」は、もとはといえば「酢豆腐」という江戸の噺だが、この「宿屋の富」は元は「高津の富」という上方落語。奇しくも東西交流になったわけだが、そんなことは今さらどうでもいいか。
落語を生で聴きにいくと、テレビではいえない類の話が聞けて興味深い。寄席の多い江戸の噺家はまくらが多彩かもしれない。
まくらが面白いかどうかはやはり重要で、ネタでちゃんと笑いが取れるのはもちろんのことだが、まくらに噺家の味が出る気がする。まくらだけで終わってくれてもけっこうだと思われるようになると達人の域だが、ときどきほんとにまくらだけで終わってしまう人がいて、大概の場合、客席に不穏な空気が流れる。そういう場合、演者はまだ自分はそこまでではないんだと自覚する必要があるだろう。
あくまで私感だが、上方の落語家は、まくらであまり政治向きの話はしないと思う。しかし、平治、小三治両師のまくらを聞いていると、どうも現政権の評判は至るところでよろしくないようだ。しかも、その評判の悪さがほぼ共通認識として観客の側にもあって、そのうえ説得力がある。どこが悪いのか分かりやすすぎる点が現政権にとっては旗色の悪いところだろう。小泉純一郎が政権の座についているとき、いろいろなメディアが攻撃を試みたけれど、かすり傷ひとつ負わせられなかった。今になって、格差とか地方の疲弊とか、小泉竹中改革のせいにしようとしているようだが、それも正直言って説得力があるとまでいえない。
メディアも同じ穴の狢だと言うことをあぶりだした点でも小泉純一郎の貢献は大きかったと思う。
「宿屋の富」を聞いたので、年末ジャンボを買ってみた。当てて仕事を辞めたいものだ。