ネットショッピングで失敗

knockeye2009-02-06

久々にネットショッピングで失敗した。
春が待ち遠しい気持ちになったので、ネットのお店をうろついて、春らしいチェックのダッフルを注文した。つい先日、道端にオオイヌノフグリの花が咲いているのを見たのだ。
今日、その服が届いて早速開封した。確かに見た目はサイトの写真どおりなんだけど、なんかポケットが狭いなと思ったら、一番下のボタンをポケットごと縫い閉じてしまっている。
しかも、肩口を見ると、どうも縫い止めしていない様子。多分糸を一本引くだけで、歌舞伎の早変わりみたいな演出が可能だろう。加えて、いちばんワイルドだなぁと思ったのは、フードを縁取るフェイクファーにそこはかとない煙草の臭いがすること。
今日、とうとう私の職場でも操業短縮のお達しがあった。深刻な事態にもかかわらず、管理職が台風の日のお父さん的な気分をかもし出しているのがむかつく。
ホリエモンが逮捕されたころ、「ものづくりへの回帰」とか、「額に汗して働く価値」とかが盛んに言われたが、ものを買う人がいるから、ものを作ることができる。長い冬を耐えることだけを賛美して、春の装いを楽しむことを否定するのは馬鹿げている。
ものを作る人とそれを使う人が楽しみを共有できるかどうかが、つまり、ものづくりの責任なのではないかと思う。
ハリウッド映画は確実につまらなくなってきている。
以前テレビで見たけれど、「鉄腕アトム」をハリウッドでリメイクしようとしているが、ストーリーの背景を無視して、マーケットリサーチで主人公の顔を決めようとする姿勢の、どこに楽しむ心を見つけることができるだろうか。
日本のアニメやマンガを「手付かず」と表現したハリウッドの経営者はおそらく作品に感動したことなどないと思う。
今、大竹伸朗を読んでいる。これまで本を読んだ後になにやら書いてきたけれど、ろくなことも書けないので、途中経過でもちょこちょこふれていこうと思う。
ウォークマンが発売されたのは1979年、サッチャー政権が発足し、私が大学に入った年だ。
音楽が持ち出せることは画期的なことだったと大竹伸朗は書いている。確かに音楽が耳の中にあると風景が変わる。
大竹伸朗が、ある奇妙な光景を憶えているのは、そのときクラフトワークを聴いていたからだと書いている。
それとは逆に、風景と何の関係もない音楽が頭の中に流れ出すこともある。
予定を大きく遅れて、寒さで震えながらサンクトペテルブルグに近づいていた私の頭の中には、なぜか八代亜紀の歌がエンドレスで流れていた。
「夜の新宿、裏通り・・・」
でも、今でもあの道を走れば、あの歌が聞こえてくるのではないかという気がする。