岸田劉生、「バーン・アフター・リーディング」

knockeye2009-04-26

新宿の損保ジャパン東郷青児記念美術館で
「没後80年 岸田劉生 −肖像画をこえて−」
という展覧会が開かれている。
展示されているのは肖像画だけで、有名な「切り通し」などの風景画はない。
一見古典的な彼の絵を「後退だ」と評した人も、当時はいたらしい。
初期の自画像や、「首狩り」と称して知人をつかまえては描いていた肖像から、自身が転換点と語っている「古屋君の肖像(草持てる男の肖像)」までの変遷を見ると、岸田劉生が、いかにして印象派から抜け出すかという課題を、はっきり意識していたのがわかる。
多分、このころの彼がもしボナールの絵を観たとしたら、ハンマースホイと同じような反応をしたのだろうと思う。
岸田劉生のすごいのは、流行り廃りの後追いをせず、独自の道をみつけだしたところ。
京都時代の男性の肖像画が何点か展示されていたが、非常にリアルな表現でありながら、なぜか浮世絵の大首絵に見える。「デロリの美」と表現していたそうだ。
そして「麗子像」のシリーズはやはり一見の価値がある。
今回の展示で言えば「麗子坐像」などは
「よい絵はどこか心をしんとさせる」
と劉生自身が言っている通り。
そして、顔輝の寒山拾得図を参考にしたという
「野童女
のなんともいえない生命感。
今回、妹さんを描いた絵が出展されていたが、これは一度描きはじめ、いったん中断して、また少し手を入れたまま放置されたものなのだという説明があった。
大竹伸朗が本に書いていたが、画家にとってどこで筆をおくかは、非常に難しい問題なのだそうだ。余計に描きすぎてしまうと取り返しのつかないことになる。
まだ完成じゃないと思ってしばらく放置しておいた絵を、あとで見てみると実は完成していたという場合もあるそうだ。
どこまでで止めるかに、実は画家のセンスが現れるというのが面白い。
今回の目玉の展示のひとつである「二人麗子像」は6月2日からの展示だそうなので、これから観にいく予定の人はそれを待ってからにした方がよいだろう。私ももう一回観にいってもいいかもしれない。そういいつつ大概行かないのだけれど。
展覧会の規模が小さい分、入館料も1000円である。
新宿に出たもう一つの目的は、ビックカメラ液晶モニターを買わんがため。
今まで使っていたやつが、突然真っ白になった。
「え?」
と思ったけど、これは壊れたんでしょう。ちなみにあとで知ったのだけれど、液晶は白の背景にしておいたほうが消費電力が少ないそうですな。
今は、昔のCRTを使っている。不景気だし、それでもいいかと思ったが、CRTは目が疲れるということを実感してしまって安い液晶でいいから買おうという気になった。今はワイドの方が種類も多いし安いのだけれど、店員さんに言われて気がついたのは、私のパソコンはワイド画面に対応しているのかどうか。それがわからないとよろしくなかろうということですごすご帰った。
ワーナーマイカルシネマ海老名が1000円の日。
「バーン・アフター・リーディング」を見た。1000円でよかった。1700円とかとられてたらケッコウ気分悪いかも。ただ、何だろう?この味わいは。他人の冗談に付き合わされた感じか。
新宿で「ミルク」を見ようかとも思ったのだけれど、わたくし、じつは「ホモ」が苦手で、前にも書いたか知らないけど、子供のころホモにいたずらされたのが軽いトラウマになっているのでね。