関根正二展 神奈川県立近代美術館 鎌倉別館にて

 関根正二展神奈川県立近代美術館鎌倉別館で始まっている。展示は前後期に分かれているが、今回、前期展示が2週間しかない。2月16日までなので全部見逃したくない方にはせわしない。ただ、《信仰の悲しみ》が後期展示なので、どちらかしか行かないのであれば、2月18日からの後期展示の方がおすすめ。

《信仰の悲しみ》関根正二 1918年
《信仰の悲しみ》関根正二 1918年

 展覧会のタイトルから分かる通り、関根正二は二十歳で亡くなっている。画業はわずか5年だそうだ。

《死を思う日》関根正二 1915年

 《死を思う日》を描いたのは16歳の時だった。仕事を辞めて、信州に無銭旅行をした。その旅で、信州在住の画家・河野通勢に出会い影響を受けた。この絵は二科展初入選作にもかかわらず、長らく知られておらず、1979年にようやく再発見された。

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《村岡みんの肖像》関根正二

 これは、山形に滞在していたころ、友人の村岡黒影の母親を描いた絵だが、岸田劉生までいかなくても、後の絵とはずいぶんふんいきが違う。

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《チューリップ》関根正二

 こういうセザンヌ風な色使いも、河野通勢を通して学んだものかもしれない。
 河野通勢の父親・河野次郎は高橋由一の門下だそうだ。父子ともども洗礼を受けた正教徒だったそうなので、関根正二は、そうした宗教の面からも感化されたかもしれない。

 このころの画家たちは、唖然とするほど早逝していて、そのせいで研究が難しくなっている画家も多いようだ。以前、東京ステーションギャラリーで展覧会があった『月映』の画家たちもちょうどこの時期に絵を描いていた。萩原朔太郎の詩集『月に吠える』が刊行された1917年には、すでに田中恭吉はこの世になかった。あの展覧会で知って驚いたのは、『月映』の同人だった田中恭吉、恩地孝四郎、藤森静雄の三人の絵は、どの絵が誰の絵か最近まであやふやだったそうだ。もしかしたらまだ曖昧なのかもしれない。
 わたしが鎌倉別館を訪ねたとき、ちょうど学芸員さんのギャラリートークがあったので、いろいろ興味深い話が聞けた。
 なかでも面白かったのは、関根正二は、ご覧の通りの早熟の天才であるにもかかわらず、実は、手を描くのが苦手だったという話。そう言われてみれば、手をちゃんと描いた絵はない。上の《信仰の悲しみ》にしても、手はごまかして描いてある。

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姉弟関根正二

 上の《姉弟》にも手が描かれていない。関根正二の代名詞でもあるバーミリオンが印象的な良い絵だが、それにしても、使われている色の数が極端に少ない気がする。それが経済的な理由だったとしても驚かない。
 わずか5年という画業の短さ、経済的な困難、加えて、技術的な未熟さですらも、こうした名画を世に出すに決定的な障害にはならないということを教えてくれる。
 ちなみに、《死を思う日》を旧蔵していたのは、伊藤深水の後援者だった福原道太郎だそうだ。伊藤深水と関根正二は、子供の頃、深川の小名木川で泳いで遊んだ幼なじみだったそうで、東京印刷の図案部に関根の就職を世話したのも伊藤深水だった。

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《明晴図》伊藤深水 1913年

 伊藤深水のこの絵のモデルは関根正二と言われている。ガキ大将のつらがまえがなんとも言えない。この絵を描いたとき伊藤深水もまだ15歳くらいだったはずと思う。

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三星関根正二 1919年

 学芸員さんの話では、この絵についても、中央の人が自画像であること以外、何を描いたものかよくわかっていないとのことだった。
 中央の自画像が、耳を切り落とした直後のゴッホの自画像に自己をなぞらえているのは、美術館で学芸員をしている人なら当然そう思うだろうし、図録にもそう書いてあるが、あえてそこに触れなかったのはさすがだと思った。X線調査で中央の人物の胸にもとは乳房が描かれていたことがわかっているそうだ。「ほなゴッホと違うか」ということである、ミルクボーイ風にいうと。
 素人目に見ると、左の人物は、髪の感じがイエス・キリストを思わせるし、右の人物はオレンジ色の服の衣紋が仏陀を思わせるが、だから、それでええやん、というわけにはいかない、専門家は。
 左を姉のクラ、右を、かつて東郷青児と恋を争って破れた田口真咲ではないかとする説もあるそうだが、真偽のほどはわからないそうだ。

 当初は、更地にされると言われていた、旧神奈川県立近代美術館の鎌倉館だが、鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムとして、坂倉準三の建築が保存されることになり、この春のオープンに向けて鋭意工事中だった。隣接するカフェは今から利用できる。
 鶴岡八幡宮の舞殿でたまたま結婚式に出くわした。

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鶴岡八幡宮舞殿の結婚式

 早咲きの桜の下に人だかりがあって何かと思ったら、桜の花をりすが食い荒らしていた。

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鎌倉の早咲きの桜

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桜を食べる栗鼠