「グラン・トリノ」

knockeye2009-04-25

きのうは「スラムドッグ$ミリオネア」、きょうは「グラン・トリノ」。今年一年を二日で終わらせたようなものである。
今月の「月イチゴロー」の5作品は、「スラムドッグ$ミリオネア」、「グラン・トリノ」、「ミルク」、「レッドクリフpart2」、「バーン・アフター・リーディング」で、順位もこの通りだった。
「いつもの月ならどれが一位でもおかしくない」といいながら、この順位は、4位と5位がどちらかなと思ったくらいで、多分こうだろうと予想できた。私としては、「レッドクリフ」より「バーン・アフター・リーディング」のばかばかしそうな感じがそそられる。
「ミルク」に関しては、その元となった「ハーヴェイ・ミルク The Time of Harvey Milk」というドキュメンタリー映画(この映画自身も1984年に最優秀長編記録映画賞でオスカーを獲得しているそうだ)が渋谷で上映されているので、どちらかというとそちらの方にも興味がある。「ミルク」の中に使われている実際の映像というのは、多分そちらから採られたのかなと想像している。
残るは「スラムドッグ$ミリオネア」と「グラン・トリノ」だが、「グラン・トリノ」は「チェンジリング」で期待のハードルが上がっている分、不利なのは仕方なかった。それでも
「クリント・イーストウッドはやっぱりよかった」
と言わせるのだから。
クリント・イーストウッド
「この作品を選んだのは、まず脚本を読んでとても気に入ったからということと、この役を自分が演じることができると思ったから。」
とインタビューに答えている。
巨匠となった今でも、彼にとって俳優であることはやはり大事なのだろう。この人は映画という世界の中で人生を生きてきた人なのだなと、そのことを改めて確認してしまう。「チェンジリング」について書いたときに「映画への信頼」と書いたが、そのことはそういう長い蓄積の末に培われた土壌だったと改めてそう思う。
この作品は、「チェンジリング」の次回作であり、「ミリオンダラーベイビー」以来の監督主演作であるとともに、「硫黄島からの手紙」以来の東洋人出演作品でもある。これについて小林信彦は、イーストウッドが「硫黄島からの手紙」を経て
「東洋人になれたのだろう」
と書いていた。
小林信彦は、どういう経緯か、この作品をロサンジェルスまで観にいっている。滅多にお江戸を出ない人がと、ちょっと目を疑ったが、そういうことらしい。
硫黄島からの手紙」のときに引用したイーストウッドの言葉があった。

私にとって(フランクリン・)ルーズベルト大統領や(ドワイト・)アイゼンハワー大将、ジョージ・パットン将軍らが本物の英雄に思えた時代だ。アメリカのプロパガンダにすっかり乗せられた15歳は、何の疑いもなく愛国心に燃えていた。

硫黄島が戦場になっていたころ、クリント・イーストウッドは15歳だった。1932年の生まれの小林信彦はそのころ13歳。
今回、イーストウッドが演じたウォルト・コワルスキーは朝鮮戦争の英雄で、そのときの勲章が地下室のトランクにある。イーストウッド自身も朝鮮戦争で兵役を経験しているので彼らは同年代ということになる。
「この役を自分が演じることができる」
というその気持ちにはきっとそのこともあったと思う。
戦時下の少年は直接戦争に参戦したわけではない。だから、戦争について語る言葉はない。しかし、フェアでないのは、彼らの受けた傷はまぎれもなく本物で生涯痛み続ける。多くの場合、その傷の存在にさえ気づかないのだ。
「わたしは、人がそれまで目を向けてこなかったことについて考えさせられ、精神面で変化していくというストーリーが好きなんだ。もしも始まりと終わりが同じであれば、人間生きている意味がないだろう?」
クリストファー・カーリー演じる若い神父が、何度もウォルトのもとに足を運び、教会にくるように言葉を尽くすが、けんもほろろなウォルトから逆に人生を学んでいく。モン族の祈祷師もカトリックの神父と対等に扱われていたのが印象的だった。
最後に彼は教会に行く。が、結局、言葉で何かを伝えようとはしない。シンプルで力強いメッセージは言葉より強く伝わってくる。
戦時下の少年が長い長い時をかけて和解しようとしている。実際に戦ったわけではないのだから、その和解に相手はいない。
だが、大事なのは、主人公が、争いではなく、和解の方に人生の決着を託した、そのことが、この映画を支配している優しさと強さだろうと思う。