世代の話

knockeye2006-12-14

私にとって(フランクリン・)ルーズベルト大統領や(ドワイト・)アイゼンハワー大将、ジョージ・パットン将軍らが本物の英雄に思えた時代だ。アメリカのプロパガンダにすっかり乗せられた15歳は、何の疑いもなく愛国心に燃えていた。

硫黄島が戦場になっていたころ、クリント・イーストウッドは15歳だった。小林信彦は小説の中でときどきエルビス・プレスリーが生きていたら何歳になるかに言及するが、小林信彦氏自身は1932年の生まれで、クリント・イーストウッドが15歳なら、氏は13歳ということ。
「生きて戻れると思うな」といわれて島に送り込まれた日本の若者のメンタリティーを、イーストウッドは、「理解するのがとても難しい」と言っている。小林信彦は、当時のかれにとって、それは当然のことだったと書いている。私自身としては、イーストウッドの口をまねて「理解するのが難しい」といいたい。あるいは、狂気と理解するしかない。
宮崎駿がロバート・ウェストールの『ブラッカムの爆撃機』に「タインマスへの旅」という短い紀行マンガをつけて新装再刊したが、ここにも同世代の共鳴みたいなものがある。ウェストールは1929年生まれ、宮崎駿は1941年生まれだが、4歳のときの夜間爆撃を記憶しているそうだ。

精神分析の教材になるような筋道で、ぼくはいつの間にか日本人ギライの、日本軍大キライのおくれて来た戦時下の少年になっていた。

と書く宮崎駿は、ウェストールも空想で何百回と夜間爆撃をした少年だったと確信している。この本ではじめて知ったけれど、神風特攻隊で死んだ日本の若者は4,000人、しかし、ドイツへの夜間爆撃のために死んだイギリス人の飛行士は55,000人だそうだ。狂っていたのは日本人だけじゃなかったわけだ。短いマンガなので、これ以上書くとフキダシの丸写しになりかねないからやめておく。
十代の若者が国のプロパガンダに踊らされるのは仕方ないことかもしれない。しかし、若者を戦地に送り出す側の年齢になったとき、「国のプロパガンダに踊らされた」は、言い訳ではないだろうか。戦時下で少年だった彼らが今なにを伝えようとしているかということなのである。
死に赴く2万の将兵の最後の思いを伝えようとした栗林忠道の訣別電報は大本営の手で改竄され発表された。もし、こういう情報操作が現在の役人によっても行われているとしたら、3ヶ月の給料返納程度で済まされるべきではないと思う。
堀井憲一郎が「つま恋」のことを書いている。1975年のつま恋コンサートには行きたかったけど行けなかった。17歳の関西人にとってつま恋はあまりに遠かった。でも、1979年、篠島吉田拓郎オールナイトコンサートには行ったそうだ。「人間なんて」を一時間以上シャウトし続けた。この伝説は当時小耳に挟んだ記憶があるが、すこし時代が前後する気がする。当時の私はこの人より少し子供で、自分の現実と「つま恋」は地続きになっていなかった。
彼が書いている「つま恋」は今年、2006年の「つま恋」のことである。

1975年の夏、つま恋に行けへんなあ、とおもってる17のおれに「31年たてば、またやるぞ」と言ったらどうおもっただろうかってえと、それはおそらく、バカじゃないの、だろう。もしくは、アホちゃうか。

考えてみれば、つま恋の伝説を共有しているのはごくごく限られた世代だけなんだろう。