思い出トランプ、現代の水墨画2009

knockeye2009-05-16

思い出トランプ (新潮文庫)

思い出トランプ (新潮文庫)

久世光彦の『向田邦子との二十年』がとてもよかったので。
あとになって損をしていたと思うことも多いが、あまり評判の高いものには手がのびない。しかし、そうやってうっかりやり過ごしたあと、ふりかえって手をのばしてみようと思うものには、やはりいいものが多い。
最近はテレビドラマをほとんど見ない。自分が興味がないせいか、ドラマの評判もほとんど耳に入ってこない。記憶をたどってみると、せいぜい『相棒』と『魔王』くらいだろうか。
日本のテレビドラマから才能が消えたのかもしれないが、それよりも、生活の中のテレビの位置づけが変わったのも大きい。
深夜のバラエティー以外テレビを見ないのは私だけだろうか。他の時間帯も付けっぱなしになっているが音声は消している。
小林信彦が、最近のテレビは面白くないと書いていたが、私はそもそもテレビに面白いということを求めていない気がする。
こういうことをいうと、じゃあ、「さまぁ〜ず・さまぁ〜ず」や「タモリ倶楽部」や「ギョーテク」や「検索ちゃん」は面白くないのかと反論がかえってくるのだけれど、小林信彦の言うような意味では面白くないのかもしれない。「面白い」よりも「ゆるい」のがポイントである。
だいたいテレビ放送というものは、人の部屋に勝手に入り込んで、わあわあと、しかも、DVDとちがって、時間も月曜九時とか、火曜十時とか、送り手側の都合なのであるから、もし軒付けの芸人にたとえれば、そうとう面白くなければたたき出されるのは当然だろう。
そうはいいつつ、アメリカのテレビドラマはけっこう見る。「ホワイトハウス」「CSI」etc。
今週も、「クローザー」のサードシーズンを見始めたところ、そろそろだれるかなと懸念していたけど、ますます面白い。
ハリウッド映画は日本のアニメや、アジア映画のリメークばっかりで、壊滅状態なのにどういうわけかテレビドラマは面白い。
これは考えてみる価値があるかもしれない。たとえばペイパービューの普及の影響とか。
練馬区立美術館「現代の水墨画2009
水墨表現の現在地点」を観にいった。ゴールデンウイークに、長谷川等伯円山応挙長澤芦雪狩野山雪俵屋宗達尾形光琳などなどを見たあとなので、それと比べられるとつらいには違いないが、しかし、明治直後の似非日本画みたいな感じではなく、新しい表現を模索している姿勢が基本にあって、近世の名画とは別の態度で鑑賞できる。

田中みぎわと呉一騏が気に入った。
水墨の特徴のひとつは上書きができないことである。したがって水墨画を見ることは描く行為を見ることである。長谷川等伯は松林図屏風を一気に描きあげたことになる。奇跡としか思えない。
遠近法は二次元の平面を三次元的に見せる手法で、確かに立体感は生まれるが、立体感=存在感ではないということを水墨画を見ていると感じる。
蒼山日菜というフランス在住の切り絵作家が話題になっている。切り絵はスイスの伝統的な芸術なのだそうだ。細密さでは現地の作家にも優れた作家が多くいるが、彼女の与えた衝撃はその平面性なのだと思う。