氾濫するイメージ

knockeye2009-05-17

二十代にバイクでこけた左ひざが最近だんだん痛んできて歩き方に注意しなければならなくなった。
今日は天気が悪い予報だったし、出かける気もなかったが、昼過ぎにふと気が向いて、八王子の夢美術館に
「氾濫するイメージ 反芸術以後の印刷メディアと美術 1960's−70's」
を観にいった。最終日だった。
思っていたより充実した展示で図録が売り切れていたのが残念だ。
粟津潔

つげ義春

赤瀬川原平

中村宏

木村恒久

タイガー立石

宇野亜喜良

横尾忠則

多くは美術館に展示するされるつもりなんてさらさらなくて描かれたに違いなくて、発想が自由で豊富でオリジナリティーに満ちている。
これほど無尽蔵なイメージが次から次へと湧いて氾濫していた時代がまずは見ものではないか。
たとえば、レオナール・フジタとキスリングとモディリアーニと・・・という具合にエコール・ド・パリの絵をまとめて見るのは、それぞれの画家の展覧会を見ることとはまた別の華やかさがある。
今回の展覧会で紹介されている画家もひとりひとりの展覧会なら印象が重くなるかもしれないのだ。たとえば、赤瀬川原平は政治色が少し生硬だし、中村宏フェティシズムは悪夢のようだ。ところが、そんな重さがたくさん集まるとなぜか軽やかになる。時代が持っていた魔法がよみがえるのだろうか。
小雨交じりの風が横殴りに吹き付けて、八王子の駅から美術館まで歩くのがちょっと大変だったのだけど、前を歩いている女の子が、絶対この展覧会に行くんだなとわかってしまった。若い子なんだけど、そのファッションは「この時代へのオマージュですね」と心の中で声をかけた。私はこういう天気でもあったので、黒とグレーだったのだけれど。
私より少し年上らしいお姉さん方が、こちらは年季の入ったサイケデリックで、絵葉書を見ながら談笑していた。
ひとりが宇野亜喜良のスカーフを広げて見せると、もうひとりは
「やめてよ」
とかいって笑っていた。
宇野亜喜良のスカーフ、どうだろうね、同時代ではやはりもっと生々しくてごつごつしていたのではないだろうか。とてもスカーフにして首に巻こうとは思えなかっただろう。
絵葉書にすると少しきれいになりすぎる気がするので、本のかたちで見たい。
8月に足利市立美術館に巡回するそうで、図録はそちらに問い合わせてみてくださいということだそうだ。