夜想曲集

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

カズオ・イシグロのの最新刊。前作は『わたしを離さないで』。あの何ともいえない無力感と濃い死の影に比べると、今回の全体のトーンはぐっと明るい。とくに二番目の短編はかなり笑える。
ああそうだった。この本はカズオ・イシグロ初の短編集だそうである。装丁はLPレコードを模してあり、レーベルのところにタイトルの「夜想曲集」と副題の「音楽と夕暮をめぐる五つの物語」が書いてある。
若い人はきっとレコードの匂いを知らないだろう。私みたいに音楽にテイストのない人間にとっては、レコードの艶やかなあの黒い色が音楽の魅力の大きな部分を占めていた。そしてあの匂い。私の頭の中のどこかでは、あの匂いはレコードのあの黒のにおいだと信じていたかもしれない。
(そういえば、『わたしを離さないで』の装丁はカセットテープだったか)
短編集というと、あちこちの雑誌に発表したものをまとめたものも多いのだけれど、これは全て書き下ろし。レコードに譬えれば、コンセプトアルバムでベスト盤ではないわけである。なので、この短編集は収録されている順に読んでいく方が良さそうに思う。一番目と四番目が関連している。リンディー・ガードナーの再登場には意表をつかれた。再登場するのが旦那のほうでなく奥さんのほうだというのが、この短編集のミソかもだな。
男と女の物語というより、こういってもいいのかもしれない、ミュージシャンとミューズの物語。ミューズに出会ったミュージシャン、ミュージシャンに出会えなかったミューズ、ミューズに出会えなかったミュージシャン、ミューズの幻を見たミュージシャン。
日の名残り』でもそうだったように、カズオ・イシグロという人は、ほんとに繊細な心の襞を描く人で、読み終えると淡い夢が心地よい目覚めとともにすっと消える。そんな読後感だ。思い出したいけど思い出せないすごくいい夢みたいな。