「クリーン」

先週、いい映画に行き当たった余勢を駆って、今週も渋谷で、公開初日を迎えた「クリーン」。
夏時間の庭」のオリヴィエ・アサイヤス監督の作品で、週刊SPA!のコラムの最終回に「サッド・ヴァケイション」の青山真治監督が、
「『夏時間の庭』よりこっちだね」
とばかりに、
トウキョウソナタ」を引き合いに出しつつ「自分もこういう映画作りたい、いや、作るべき」
みたいなニュアンスのことを書いていたので、いやがうえにも期待が高まっていた。
しかし、映画監督の映画評って、女の子にガールフレンドを紹介してもらうのといっしょで、その子より美人を期待できないのかも。
「サッド・ヴァケィション」の方がはるかいいいっすよ、青山真治監督。
それに、公開のタイミングとして幸か不幸か、のりピーに重なってしまう。
プロットの大筋は、落ちぶれてクスリに溺れていたかつてのアイドルが、どん底から再起をはたすまでなのである。
私としては、いくつか違和感があった中でいちばんのものは、再起を果たすというまさにそのこと。
自分が買ったヘロインを打った旦那(彼も忘れられつつあるロックスター)が中毒死している。いわば、のりピーどころか押尾学であって、これが芸能界に再デビューするにはちょっとドラマが足りなくないか。
育児放棄して旦那の両親に預けていた息子と暮らすためという目的があるのだけれど、それだったら(思いっきりネタバレ書くけれども)、自分が生まれたサンフランシスコを見たいという息子を、旦那の両親に預けたまま、自分だけサンフランシスコにレコーディングに行くのはおかしくないか。
それは結局仕事を選んだということになるし、その選択自体は責められはしないけれど、それだと息子と暮らすために生まれ変わるというテーマがはぐらかされてしまう。
もう一度芸能界に戻って忙しい日々で、また育児放棄して、またクスリに手を出すのかとさえ思ってしまった。
ドラマの流れから言えば、旦那の両親のもとから息子をこっそりサンフランシスコに連れて行って、レコーディングに臨むが、芸能界には戻らない、という結末じゃないの?
(ええっ?・・・)と思っちゃったッす。
結局、祖父のもとに残されるとわかった息子ジェイの表情がもっとも映画的だった。
さらにいえば、動物園でジェイとはぐれるシークエンスにしても、母子の和解であるとともに、彼女自身の告懈でなければならなかったはず。父親(主人公にとっては夫)の死がお互いの間にあるにしては、和解が軽すぎる。説得力に欠ける。
芸能界での苦闘と栄光、ドラッグ、恋愛、親子、死、を扱った映画としては、「エル・カンタンテ」を観たばかり。同じテーマでもあちらの方が、実話でもあるからだが、明らかに深く掘り下げている。
舞台が、アメリカ、カナダ、フランス、イギリスと飛び回り、主人公も英語、フランス語、中国語と三ヶ国語の台詞を駆使するが、これといって心に残る台詞がない。おまけにバイセクシャルだったりもしてくれる。
推測だけれど、これを撮ったとき、オリヴィエ・アサイヤス監督は、主演のマギー・チャンにメロメロだったのだろう。たしかにマギー・チャンは魅力的に撮れている。だけどそれだけ。
フランス人って、しばしば東洋の女に入れ込みすぎる。