「マンチェスター・バイ・ザ・シー」他

knockeye2017-05-17

 ようやく長時間座っても大丈夫と思えるようになったこともあり、今週末は4本の映画を観た。
 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、「パーショナル・ショッパー」、「スプリット」、「アシュラ」。
 この中では、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」がダントツすばらしい。是枝裕和監督の「海街diary」が気に入った人ならきっとこの映画も楽しめるだろう。ニューズウィーク日本版の映画評には「ニューイングランドの漁村の潮の香りまで匂ってきそうだ。」とあったが、たしかに、観客は物語を追うのではなく、舞台となったこの海辺の町に誘われる。
 この小さな町でなければ起こりえなかった物語だろう。もし東京ならこの主人公のような人はたぶん消えていくだけなのではないか。この主人公も、心臓疾患のあるお兄さんがいなければ、ボストンの雑踏にまぎれてしまったのかもしれない。バーでひとりもの思いに沈んでいる誰かを、あの男はどんな人なんだろうと思う。そんな風にしずかに映画がすべり出していく。
 本作でアカデミー脚本賞を獲得した監督のケネス・ロナーガン、同じくアカデミー主演男優賞ケイシー・アフレックももちろんだが、隠れた功労者はプロデュースのマット・デイモンだろう。映画人としてのマット・デイモンのふり幅の広さには驚かされる。そういうところがアメリカ映画の底堅さなんだろう。
 「パーソナル・ショッパー」はオリヴィエ・アサイヤス監督、クリステン・スチュワート主演。たぶんフランス映画の伝統だろうと思うが、それ必要かなぁと思うところで女優が脱ぐ。クリステン・スチュワートは、「カフェ・ソサエティ」に続いて今月2度目だが、役柄に共通するのは、セレブの傍らにいてどこか醒めている。たぶんそういうのはハマリ役なんだと思う。「アリスのままで」の時の役は、あんまりしっくりこなかった。母親がボケて死にかけているにしてはチョットつれない感じがした。
 クリステン・スチュワートが醒めているように見えるのは、レズだからかもしれないけど、この主人公が醒めているのは、霊感が強いせいで世俗的関心が薄いのだろう。フランスの霊媒師がどういうものなのか知らないが、それで食っているわけではなく、タイトルどおり、パリのセレブに個人的に雇われて買い物の代行をしている。その設定がなかなか効果的で、スピリチュアルな世界とマテリアルな世界に揺れ動きながらストーリーが進んでゆく。
 しかし、霊媒師の存在そのものが、スピリチュアルな世界とマテリアルな世界が接続しうるのでなければ成立しない。この映画の主人公は亡くなった双子の兄からのメッセージを待っている。それは実は、マテリアルを待っているわけで、実のところ人はマテリアルだけしか信じていないのだろう。スピリチュアルといいながら、実はそれは象徴化されたマテリアルにすぎないわけである。
 死後の世界とか神とかそういうものがあるかどうかは魅力的なテーマであり続けるだろう。マテリアルに考えれば、一瞬で答えの出ることを、なぜか私たちは、このマテリアルな世界こそ幻想で、スピリチュアルな世界があるのではないかと考えてしまう。
 この映画のユニークなのは、そういった霊的な渇仰とフェティッシュな欲望がからみあってしまうところ。実際、それらはよく似ている。セックスと宗教はよく似ている。
 この監督の「クリーン」が私は合わなかったのでしばらく無視してたけどこれはそんなに悪くない。
 「スプリット」は、「シックスセンス」のM・ナイト・シャマラン監督の最新作。前作の「ヴィジット」の評判は上々だったらしい。典型的なおどかし系映画だったけど、怖かった。
 「シックスセンス」は衝撃的だったけど、個人的にはその次の「アンブレイカブル」のアメコミマニアック的、映画オタク的な世界も好きだったが、「アンブレイカブル」が一般ウケしたかどうかは記憶にない。
 「スプリット」は、ジェームズ・マカヴォイが多重人格者を演じているのがひとつの見どころ。こいつに拉致された女子高生3人が無事生還できるかってところにプロットの推進力がある。
 隠れたテーマは幼児虐待なので、映画としては最後のところは蛇足。だけど、それをやっちゃうのが、M・ナイト・シャマランの作家性なんだろうと思う。なぜか「to be continued」なのだった。
 「アシュラ」は、宮藤官九郎が、「コクソン」、「お嬢さん」とともに褒めていた。「コクソン」と「お嬢さん」は観たんだけど、「アシュラ」は見逃してたのを、アミュー厚木の映画.comシネマてやってたので。
 宮藤官九郎好みらしく、中身ギッシリ、スピーディーな展開、変なヤツいっぱいって映画。「マンチェスター・バイ・ザ・シー」とは別の意味で面白かった。「コクソン」につづいて、ファン・ジョミンの怪演がすごかった。