一寸昔

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一寸昔

吉祥寺美術館で手に入れた斉藤真一のエッセーを読み終えた。
展覧会場に写真のあった‘モビレット’という、斉藤真一が欧州放浪に使ったバイクについて、斉藤真一自身は本文で「自転車バイク」という表現を使っていて、はて、どういうことだろうかと思っていたら、どうやらペダルがついているようだ。
検索して写真を見つけた。


エンジンを起動するキックペダルじゃなくて、人力で漕ぐペダルがついている。
実際、斉藤真一もアルプス越えにさいして、非力なエンジンが役に立たず、何とか人力で漕いで越えようと悪戦苦闘したようだ。
エンジンを分解したり、粗悪なオイルの煤が詰まったマフラーを掃除したりという場面は、なんとなく賀曽利隆のそのころの旅の描写を思い起こさせる。
あのころの日本人はよく旅をしたといえるのかもしれない。野田知佑もそうだし、沢木耕太郎も。
さらにいえば加藤周一鶴見俊輔のような知識人も外から日本を見つめなおそうという態度を持っていたと思う。
それは‘旅人の視点’といえるものなのかもしれない。だが、いつのころからか日本人は旅をしなくなった。
欧州放浪の旅の後、斉藤真一は瞽女を‘発見’するのだが、以下のような文章がある。

・・・瞽女の来訪を、心待ちにしている農家のおばちゃん、おじちゃんを信じて、せぎ(川)を渡り、谷を進み、山を越えていつもの村を、いつもの家を訪ねる。
「よう来やしたなぁ」
「おまん、たっしゃだったかなぁ」
と、村々ではいつもの笑顔で瞽女さんを迎える。待っている人たちは瞽女の来訪を信じ、瞽女たちも人々が待ってくれていることを信じて疑わないのである。

このころまでは、定住生活者としての村人と、非定住生活者としての、たとえば瞽女のような旅人は、対等な関係にあったように思える。旅人の視点と村人の視点は、お互いに補完しあっていたのではないか。
しかし、時代が進むと、定住生活者は、非定住生活者を疎外し始める。自分たちよりも一段低い存在だと感じ始める。
このことは、「文化としての炭鉱」展のときにも、いつのまにか女性の坑夫が男性の坑夫から疎外され始め、ついには「女が入ると山が穢れる」とまで言われるようになったこととよく似ていると思う。
そしてそれは、今という時代の、正社員と非正社員の関係に対比させて考えてみることも出来るのかもしれない。
‘正社員’と‘非正社員’をめぐる問題の一部は意識の問題である。
正社員は、字義通り‘正しい’働き方というわけではないのだ。
定期昇給、終身雇用、企業別労組という、高度成長下にがちがちに固定されてしまった日本的な労働環境は、労働者を生涯ひとつの企業に縛り付けることで、業態の変化を妨げる結果になったといえると思う。
つまり、本来なら韓国や中国がものづくりで日本に追いついてくるころには、ものづくりの企業から、サービスや環境などその他、新しい業種へと労働者が移動できるようになっていなければならなかった。
ところが、日本を代表する企業といえばいまだにトヨタである。おそらく百年先もそうだろう。トヨタがこければ日本が滅びるという図式は、まさに‘正社員’という不活性な労働慣習が生み出した弊害なのだろう。
非正規労働が増えたのは、小泉と竹中のせいだなどというのは、高度成長の夢にひたっている寝言だと思う。
‘正社員’という存在が高度成長に特化した特殊な存在なのだから、高度成長期がすぎた今(とっくにすぎているのだけれど)、それが何らかの形で是正されなければならなかったのは当然のことだ。非正規労働の増加はそういう意味でのアラームだったと思う。
話が大きくずれてしまった。しかし、斉藤真一が欧州放浪の帰国後に、瞽女を発見するのは偶然ではないと思う。旅人が旅人を発見したのである。
斉藤真一が、帰国した日本に大きな違和感を感じたとすれば、それは、村人たちの旅人に対する疎外だったろう。そして、斉藤真一は疎外されていこうとする旅人の視点を以て、おなじ滅びの道を先に歩んでいった瞽女たちの後姿を見つけたのだろう。