長谷川潾二郎展

knockeye2010-04-25

昨日、出勤だったのだけれど、帰りに、大戸屋で桜えびのせいろご飯と、デザートに桜のムースを食べた。
富山には白エビ、甘エビがあったが、桜えびはこの東海の春を彩る風物詩だろう。
‘さくら’‘咲く’‘酒‘幸く’、柳田国男によれば、これらの語源はみな同じだそうだ。
光の溢れる、そんな季節の精進落としに、桜えびはちょうどよい気がする。
このところは、天気予報から目が離せない。昨日はフリースにダウンジャケット、朝はまだ手袋までしていた。今日は朝から晴れたので、おっかなびっくり、昨日より少し春めいた服装ででかけた。
一日中、ぬけるような青空で光が目につらかったが、それでもまだ風は強く、初夏の陽気というわけにはいかない。タートルネックで汗さえかかないのだから。
平塚市立美術館で長谷川潾二郎展が開かれている。
たんにわたしが不勉強のせいだが、この画家は最近一般に発掘され、脚光を浴びている感がある。しかし、今日展覧会を見るかぎり、これは一時のブームに終わらず、確固とした存在として、これからも尊重されるだろうと思った。
戦前、パリを訪ねる日本の画家は、なにかといえば藤田嗣治をたより、寄食するばかりか食べ残しの皿まで藤田に洗わせていた、という逸話は以前にも書いた。
そうしてフランス帰りの箔だけを手土産に帰国する、それが当時の日本の凡庸な画家たちの一般的な態度だった。
また一方では、佐伯祐三のように、ひとり奮闘し、命を削る画家もいた。
長谷川潾二郎も、1930年頃パリに留学したが、彼の行きかたは、そのどちらともちがう。最初はもちろん10年、20年といつづけるつもりだったそうだが、一年ほどいて「ここはこちらの画家に描かせておけばよい、自分は日本を描くことにしよう」と、帰国してしまう。そのユニークさは天才の証しなのかもしれないし、パリで吸収できそうなことは、一年で吸収しつくしてしまったのかもしれない。画壇での成功を求めるつもりがなかったことも大きいだろう。
藤田嗣治佐伯祐三、長谷川潾二郎、この三者三様のパリに対する態度の違いが、作風にもよく現れていると思う。
絵を見て歩いているうちに、何人かの画家たちが頭に浮かんできた。
たとえば、苦労して、印象派に盗まれた目を奪い返した岸田劉生。しかし、長谷川潾二郎は、はじめから印象派に目を奪われなかったように見える。
<ガソリンスタンド>などの風景画の前では、エドワード・ホッパーを思い出したし、静物画の前ではヴィルヘルム・ハンマースホイを思い出した。
絵が似ているということではなく、展覧会のサブタイトルにも「平明・静謐・孤高」とあるように、醸しだす雰囲気がなんとなく似ているように思う。
ただ、食卓の魚を描いた静物画の前に立ったときには、高橋由一を思い出してハッとさせられた。
1980年代に描かれた<キャラメル>と、食卓のたまごを描いた<静物>は、この作家のある確信を映し出していると思うが、そのことと同時に、1930年代から1980年代まで、その間、世間で何が起こっているか、まるでおかまいなしに、絵を深化させつづけていることに感銘をうけざるえなかった。
洲之内徹が、古道具屋でこの画家の描いた薔薇の絵を発見したとき、画家が何者か分からないものの、おそらくもはやこの世の人ではないだろうと思ったという、そのことは、いろいろな意味でよく理解できる気がする。
今回の展覧会のポスターになっている猫の絵は、生きているものが主題になっているという点で、この作家の作品中では例外中の例外といえるだろう。応挙の唯一の肖像画とか、佐伯祐三のキャンパスの裏の自画像とか、むしろ、そういう種類の例外だと思える。
この画家の絵には人物はほとんど登場しない。風景画の点景として、申し訳なさそうに、影のように描かれるだけである。
この絵の猫は、タローという彼の飼い猫だそうだが、タローが生きているあいだに絵を完成することができなかった。
描いているうちにだんだん年をとるものだから、お尻のほうと頭のほうでは毛色が変わってきてしまっていることは、有名なエピソードだ。
また、右ほほにあるべきひげが描かれていない。左ほほのひげも、所蔵家に是非にと請われて、タローの死後、生前のスケッチをもとに描き加えたものだそうだ。でも、そのひげが必要だったかどうか、わたしには分からない気がした。