田窪恭治

 今週は、日曜日の花粉症ショックのせいか、寒の戻りのせいか、ひどく疲れた。このブログも書きかけては寝てしまう。
 日曜日は美術館巡り。
 天気予報が、最高気温18℃といったので、シャツとブルゾンで出かけたのは、実は、セーターを着忘れただけだったが、昼過ぎには、それでも少し暑く感じたくらいなので、この日、東京国際マラソンを走ったランナーは大変だったろう。ましてや、もし、花粉症なら、とても走ってられなかったろうと思う。
 毎年、この季節になると書いている気がするが、私の花粉症は、十年間ほど悩まされた後、ぴたりと治まったが、なぜ治ったかわからない、謎の完治なので、春にはいつも、再発の影におびえる。
 いずれにせよ、私のアレルゲンはスギ花粉ではなく、たぶん、ハウスダストなんだろう。木場公園を通り抜ける間も、たしかにちょっとはぐずぐずしていたが、東京都現代美術館に入ったとたんに、鼻水が堰を切って、鼻翼が制御不能に陥った。
 それが、建物を出たとたんに、すっと治まった。
 公園のベンチで息を整えつつ、
「現代美術にアレルギーはないつもりだけどな」
とか、
「フランスの林檎の花粉かな」
とか、ひとりごちても笑えないし、まいった。
 展覧会のサイトによると、田窪恭治は、ノルマンディーに移住して、うち捨てられていた礼拝堂を再生させることに取り組んだ10年を経て
「自分より長い時間を生きるであろう、特定の現場の風景を表現の対象とした仕事を『風景美術』。作家がいなくなった未来においても生き続ける表現の現場を『風景芸術』」
と呼び、
「空間的にも時間的にも開かれた活動を目指す」
ようになった。
 現代芸術のインスタレーションが、美術館のカギカッコの外に出て行こうとするのは、とても面白いと思う。
 「風景芸術」という言葉を聞くと、岡本太郎太陽の塔とか、イサム・ノグチモエレ沼公園などを思い浮かべるし、さかのぼれば、小堀遠州の庭(大池寺の大刈り込みとか)、金閣寺銀閣寺など京都や奈良の寺や庭は、みんなそうだといえるのかもしれない。
 ひとことで「美術館の外へ」といっても、現実にコミットしていくことは、住民との協働、出資者、所有権、運営、管理など、作家の個人性を超える要素が結果としての作品を大きく変えていくことになるという意味で、無名性への回帰を思わせる。
 以前に、過去の優れた芸術作品の多くが、無名の作者によることについて、「歴史が個人の情熱を簒奪する」みたいなことを書いたが、芸術家が、永遠を志向するのなら、名前のような個人性は、むしろ、邪魔であったのかもしれない。いにしえの作家たちは、個人の手を離れたものこそが、永遠に残るものだと知っていたのかもしれない。
 建築にかぎらなくても、たとえば、広告やファッション、柳宗理などのプロダクトデザインなど、もっと広範囲に現実にコミットしていくほうが、芸術にとって、はるかに自然だし、私たちの生活を豊かにしてくれる気がする。