‘脱・原発依存’とは‘脱・官僚ver.2’だということについて

 土曜日に「脱・原発に寄せて」という記事を書いたけれど、‘かなり’寄せたわけ。‘寄せて、上げた’といってもいい。善意に解釈して、私なりの思いを書いた。ただ、批判しようと思えばいくらでも批判できる。つまりそれだけ具体性に欠けている。
 ちなみに、6月19日、ひと月前になるけれど、‘辞任を撤回して、解散しろ’と勧めたけれど、‘脱・原発’で解散しろとは書いてません。‘電力の自由化’を争点にしろと書いた。
 ワン・イシューとかなんとか言ってる人がいるけど、‘脱・原発’では、ワン・イシューにすらならない。
 ハードルが高すぎるし、茫洋としていて具体性がない。こないだの‘脱・原発依存’の会見が不発に終わったのも、そのあたりに原因があると思います。
 国民が何に怒っているかをよく考えましょう。原発に怒っているわけではないんです。東京電力と官僚のいい加減さに怒っているんです。
 福島原発の事故があぶり出して見せたのは、またしても、この国における官僚の腐敗だった。国民の怒りの方向は、政権交代の時から、もっといえば、郵政選挙の時からぶれていない。ぶれたのはあなたたち民主党
 ‘脱・原発’で選挙を戦えば負けます、‘電力の自由化’つまり、発送電の分離でなければ。敵を見失っているから。
 ‘脱・原発’といわずに‘脱・原発依存’といった意味は、わたしはもちろん善意に解釈しましたが、そんなぼやっとしたことでは国民に通じない。‘反・原発’、‘脱・原発’、‘脱・原発依存’と、どんどんトーンダウンしているように聞こえてしまう。
 ‘脱・原発依存’とは、つまり、かたちを変えた‘脱・官僚’であって、そのためにはまず‘電力の自由化’発送電の分離が必要で、村上憲郎が指摘しているように、‘原発か、反原発か’の単純な二項対立には何の生産性もない。そこのところを、もっとはっきり示していただかないと。
 埋蔵電力の調査を経産省がまともにしないと、嘆いているようですが、あたりまえ。天下りを死守するのが彼らの使命なんですから。
 PPS(特定規模電気事業者)自身に報告をまとめさせればいいかと思います。喜んでやると思います。
 日曜日の朝、NHKのニュースを寝ぼけ眼で見ていて、驚いて目が覚めてしまったのだけれど、自民党公明党が、

東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡り、政府が設置した「事故調査・検証委員会」では調査の客観性が担保できず、政府から独立した形で国会に調査機関を設ける必要があるとして

国会に衆参両院の国会議員からなる「両院合同特別調査会」と有識者などで構成される「事故調査委員会」を設置することを柱とした法案を取りまとめました。

 自民党が作った調査委員会が‘客観性を担保’できるか?

実際の調査については、「両院合同特別調査会」が推薦した有識者などで構成される「事故調査委員会」が行い、その結果を衆参両院の議長に提出する

 それがまさに‘原子力ムラ’在住の御用学者だろうと思うのは、私だけだろうか。
 さすがに、この件に関しては、自民党より政府の方が‘客観性が担保できる’と思いますが。