ベン・シャーン

knockeye2011-12-10

 葉山の美術館でベン・シャーン展。

 ‘クロスメディア・アーティスト’という副題が付いているのは、今回の展示では、今まであまり注目されてこなかった、写真家としての側面にも注目し、写真作品も多く展示しているから。
 今日は、たまたま、写真評論家の飯沢耕太郎の講演会にぶつかったので参加した。なんと一時間半もしゃべったのである。
 画家としてのベン・シャーンは、第五福竜丸を題材にした絵画もあり、わたしたちにもなじみ深いが、彼を写真家だと思ったことは不明ながら一度もなかった。
 「私は社会的な画家あるいは写真家である。・・・私には写真と絵画の区別などどうでもいい。どちらにしてもピクチャーではないか。」
 1946年のインタビューではそう答えるほど、写真の比重は大きかったようだ。
 ベン・シャーンが写真を撮り始めるのは、四ヶ月のパリ滞在から帰国後、写真家のウォーカー・エヴァンズと知り合ったのがきっかけ。ウマがあって、一時はニューヨークで共同アトリエを経営した。
 それが1929年のことで、画家としての評価を確実にしたと思われる「サッコとヴァンゼッティの受難」の個展が開かれた1932年より早い時期から、写真に取り組んでいたことになる。
 その後、ウォーカー・エヴァンズとともに、FSAの一員となり南部、中西部の農村地帯を撮影してまわる。
 FSA(Farm Security Administration)の前身はRA(Resettlement Administration)、ルーズベルト大統領のニューディール政策の一貫で、大恐慌で土地を失い難民化した農民たちを、ふたたび農地に定住させ、荒廃した農業を立て直すために、議会と世論を説得させる資料として、農村部の窮状を写真にのこす事業だった。飯沢耕太郎によると、写真史では「FSAの写真」と呼ばれている16万枚に及ぶ厖大な仕事で、当時、アメリカ中に大きな反響を呼び起こした。ベン・シャーンは、確認されているだけで1400余枚の写真を残している。
 「サッコとヴァンゼッティの受難」もそうだが、ベン・シャーンの絵の多くが、写真を下絵として描かれていて、その写真から絵に移すときのデフォルメが、彼特有の暖かみのある線とあいまって、なんとも言えない味わいを生んでいる。
 飯沢耕太郎は、「写真と絵を行き来しながら、彼の芸術が作られていったのではないか」というようなことを言っていたが、最近、その‘行き来する’という感覚に着目している。
 写真と絵画の関わりは、ある意味では当然ながら、写真がこの世に誕生したときから始まっていた。
 たとえば、カミーユ・コローの有名な‘銀灰色’ですら、銀塩写真に着想を得たとも言われている。ドガのアトリエにも、彼の裸婦と同じポーズのヌード写真が残されていた。
 このまえ、東京都写真美術館でピクトリアリズムの写真をまとめて見る機会があったが、予想していたとおり、何一つ見るべきものがなかった。
 ピクトリアリズムは、‘絵のような写真’、‘芸術としての写真’を志向した試みだった。しかし、ベン・シャーンがいみじくも言っているように、写真も絵もいずれにせよ絵なのである。‘絵のような写真’は言い換えれば‘絵のような絵’‘いかにも芸術’を志向したにすぎなかった。芸術の概念にとらわれて、意識が絵そのものに向かっていない。そんなものが面白いはずがない。
 しかし、ピクトリアリズムの功績は、ピクトリアリズムが面白くないとすれば、もう一方の‘絵のような絵’、そのピクトリアリズムのお手本となった絵も面白くないはずではないか、ということを、画家や鑑賞者に気づかせたことだと思う。写真の発明以降、絵は急速に視覚の忠実な再現から離れていく。
 その一方で、たしかに‘よい写真’がある。だとすれば、よい絵とよい写真の間に横たわる深淵に、芸術の謎が潜んでいる。写真と絵を行き来することは、ある意味では現代の芸術家の必然的な態度といえるかもしれない。
 私の考えでは、写真は決定的に他者であるのに対し、絵画は決定的に自我であるにもかかわらず、写真は他者の中に自己を発見し、絵画は自己の中から他者を紡ぎ出す。その意味では、写真と絵画を行き来することは、自己と他者を行き来することなのかもしれない。
 ベン・シャーンにとって、FSAでの写真の仕事はまた、「サッコとヴァンゼッティの受難」や「トム・ムーニー事件」など、社会的な不正を声高に叫ぶプロパガンダ的な姿勢に疑問を抱かせるきっかけともなった。

 当時私はアメリカの国内いたるところを歩きまわり、あらゆる種類の宗教や気質をもった多くの民衆を知るようになった。こういう信仰や気質を彼らはその生活の運命に超越し、無関係に持ち続けているのだった。社会的な「理論」はかかる経験の前に崩れ去った。

これは、「ある絵の伝記」に記されているベン・シャーン自身の言葉。このあと、ベン・シャーンの絵の関心は、より個人へ向かうようになると見える。
 ‘社会的な「理論」’の段階でとどまっている人には魅力を感じない。その社会を形成している個々人の事情に少し立入さえすれば、そのようなものが何の役にも立たないことはすぐに実感される。その段階にとどまっていられるのは、「理論」に執着して、個人の前を素通りしていく人間だけである。
 小さな絵だけれど<白衣の中に眠りおちて恢復を待つ産後の女>が美しかった。晩年、リルケの「マルテの手記」をもとに編まれた詩画集の一作。

人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。・・・詩は本当は経験なのだ。