町山智浩

 「ウインターズ・ボーン」は映画そのものの評判はもちろんのこと、パンフレットの評判もすこぶるよい。
 あの日は、途中で話がそれてしまったが、マリデス・シスコの唄もすごくよい。町山智浩によるとヒルビリーの民謡はカントリー&ウエスタンの原型で、これが南部の黒人奴隷のブルースと交わりロックンロールが生まれたそうだ。ヒルビリーはスコッチ・アイリッシュだそうなので、それを思うと、ビートルズは意外なほどルーツの近くにいたことになる。
 町山智浩は、週刊文春につづいて、最近、週刊アスキーにもコラムを持ち始めた、ちょっと‘モテキ’のコラムニストみたい。ちなみにはてなダイアリーも更新中だ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20111206
 今週の週刊アスキーのコラムは、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンの『スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイヤー』について。このバンドは、現在のデモよりはるかに早い、2000年の1月、ウォール街を占拠して、この曲を叫んだ。

この世界は俺のコスト
俺の欲望のコスト
エス様は未来を祝福してくれた
だから俺は炎で守る

俺はニーニャ、ピンタでサンタ・マリヤだ
首つりの輪で、レイプ魔だ
奴隷農場の監視人で
エージェント・オレンジ
ヒロシマの牧師だ
それが欲望のコストだ
今は炎の中で眠れ

歴史の終わり
檻に入れられ、凍りついた
選択肢は他にない
だからこの薬を飲み下せ
それで悪に染まるんだ

 予言的で示唆的だ。詳しくは、週刊アスキーの12/20号をどうぞ。
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 週刊文春の方は、スウェーデン・モデルについて。
 これを読んで何かなつかしい気がしたのは、民主党政権交代した直後、民主党は、てっきり、こうしたスウェーデン・モデルを目指すのだと思っていたので。
 子ども手当、農家の所得補償など、富の再分配について、間接的な分配から、直接的な分配への移行を意味していたはずだった。
 官僚が計画に基づいて差配する、富の間接的な分配は、近代工業化の途次にあったころの日本には、たしかに機能していただろう。しかし、その副作用として、政官財の癒着した既得権益構造を生み出した。
 近代工業化を果たし、バブルが崩壊し、ゼロからモデルを作り上げていかなければならないとき、官僚の発想は役に立たず、政官財の癒着構造がむしろ妨げになる。
 80年代に、世界の先頭を独走していた日本の太陽光発電が、既得権益を手放すまいとする政官財の癒着構造(いわゆる原子力ムラ)によって、あれよあれよというまにしぼんでいってしまったことはその実例。
 小泉構造改革は、郵政や道路公団の民営化によって、カネを官僚から民間に移そうとした。
 ‘格差社会’や‘新自由主義’などのヒステリックな批判にかき消されて、まともな検証がなされていないと思うが、私が今のところ考えているのは、小泉構造改革の欠点は、富の再分配にまで手が付けられなかったことだろうと思う。
 せっかく民間に流れたカネが、直接金融に向かわず、間接金融に偏った。あれだけ長期間好景気が続いたにもかかわらず、日本人は株を買うよりも、貯金することを選んだ。
 これは、ひとつには、日本の金融業界に、魅力的な提案ができる、優れた企業家がいなかったということなのかもしれない。それは遡れば、金融工学などの時代に即した教育を、大学が教えていないせいであるかもしれない。
 または、事実上破綻している、正社員の終身雇用と年金制度が、まだ盲信されていたことが大きいのかもしれない。そうしたとっくに終わった近代の夢にまどろんでいる人たちの寝言がまぎれこんでいるために、小泉構造改革に対する建設的な検証ができない。
 いずれにせよ、銀行預金はほとんど国債に化けるだけだから、その金はまた官僚の手元に戻る。それでは新しい産業は育たない。小泉政権下で、新しい産業の代用をつとめたのが、既存の輸出産業だった。結果として、経済の外需依存が高まることとなった。
 民主党政権に、間接的な分配から直接的な分配への変革を期待したひとも多いはずだった。
 ところが彼らは、政権交代するやいなや、郵政民営化は辞めてしまい、高速道の無料化も、ガソリン税暫定税率の廃止も、反故にしてしまった。このマニフェスト違反がその後の迷走を決定づけたと思う。ちなみにこのマニフェスト違反の主犯は小沢一郎である。今彼は、マニフェスト遵守を叫んでいる。残念ながら、まったく説得力がない。
 わたしも消費税増税には反対だ。とくに、公務員制度改革も、天下り法人の全廃も、厚生年金と共済年金の統合もせずに、消費税だけ上げるなど許せるはずもない。
 だが、小沢一郎増税に反対しているのは、選挙目当てなのが見え見えである。
 最近、この人を揶揄する言葉に‘政局屋’という言葉が加わったようだ。以前いわれていた‘壊し屋’には、‘改革者’という肯定的なニュアンスも含まれていたが、‘政局屋’にはそれもない。そして、どうやらそれが正しい評価であるようだ。
 週刊文春の書評欄には『さよなら!僕らのソニー』という立石泰則の新書が紹介されている。

さよなら!僕らのソニー (文春新書)

さよなら!僕らのソニー (文春新書)

 この間、西和彦スティーブ・ジョブズを追悼した文章を取り上げたとき、ソニーについて少しふれたが、いまや、事情通でなくとも、ソニーの実態といったものがなんとなく感知できる状況ではないだろろうか。その意味で、「一つのエクセレントカンパニーが経営トップの度重なるミスジャッジによっていかに傷つき、転落していったかを克明に綴った哀切な衰亡史」という、この本はまさに時宜を得ているといえるだろう。
 ただ
「本書で明らかにされているハワード氏及びその取り巻きのアメリカ人たちの保身と強欲、無為無策ぶりには唖然とする。そして、そうしたアメリカニズムというものが、ソニーに限らずこの国の各界のリーダーたちをいかに毒しているかを思うとき、現在の日本の衰退の真因が私たちの前にぼんやり浮かび上がってくる。」
と、この書評子は書いているが、どう‘ぼんやり浮かび上がって’きたのかは知らないが、ハワード・ストリンガーが‘アメリカニズム’で、スティーブ・ジョブズが‘アメリカニズム’ではないというなら、アメリカ人は鼻で笑うだろう。アップルもグーグルもアマゾンもツイッターフェイスブックも、全部アメリカだ。衰退してる?衰退しているのは、まぎれもなく私たちの方だ。
 この書評子のように、日本人は何か都合が悪いとすべて外国のせいにしてきた。アメリカが、ソ連が、中国が、韓国が。しかし、私にいわせれば、そういう責任転嫁こそが最大の病巣であるように思う。