この国の‘会費’

knockeye2012-01-10


 今朝の朝刊に上の記事がもうすこしくわしく載っていた。
 それによると、原子力研究開発機構職員らの‘福祉増進’を目的に設立された「原子力弘済会」には、毎月400万円が支払われていた。ここの理事には文科省の元局長が天下っている。
 原子力研究開発機構への交付金には、電気料金に上乗せされている‘電源促進開発税’もふくまれている。いわゆる電源三法に裏打ちされた原子力ムラの資金源だ。
 記事には、総務省所管の独立行政法人「情報通信機構」も、同様の‘会費’を、関連する41の団体に支出していたとあった。
 おそらくこのような例は、調べ上げればきりがないのだろう。
 去年の夏、原子力ムラの天下りリストとして、「AERA」の記事を紹介したが、こうして私たちの税金は、官僚たちの手から手へ、天下り先へ、そのまた天下り先へとばらまかれていく。その結果が現在の財政赤字ではないか。まさに、野田佳彦民主党が野党時代に、国会で指摘していたその通りの構図なのだ。
 この構造に手を付けずに財政再建ができるか?
 消費税を上げることで、かえって税収が落ち込むおそれは大いにある。そんなことは、官僚たちだって百も承知だ。官僚たちが気にしているのは、この国の財政ではない。国の財政がどうなろうと自分たちの既得権は死守するつもりだ。
 今の時代の官僚なんて、所詮、教育ママの言いつけどおり、塾通いしてた連中じゃないか。そんなやつらが本気で国を憂えていると思うか。気がつけよ。
 つい先日、1月6日には、原子力研究開発機構の鈴木篤之理事長と福井県の知事が会談して高速増殖炉もんじゅ」の研究続行について意見を交わしている。

 このことについても、去年の夏もんじゅ再開?と題して書いた。菅直人が‘もんじゅ廃炉’を口にしたあとほとんど間髪を入れなかった。
・・・
 東証は、結局、オリンパスの上場維持を決めた。
 元社長のマイケル・ウッドフォード氏は、現経営陣を一掃することを目指して、委任状争奪戦を念頭においていたようだが、日経の記事によると、

声明で「(日本国内の)大株主である機関投資家が誰も支援の声を挙げなかった」と強調。オリンパスへの役員候補の提案活動を断念することを正式に表明した。

 「株式持ち合いの相手を決して批判しないというあしき慣行」と、日本の持ち合い制度が「企業統治の骨抜き」になっていると批判した。

オリンパス元社長「妻に耐え難い苦痛」 復帰断念  :日本経済新聞 オリンパス元社長「妻に耐え難い苦痛」 復帰断念  :日本経済新聞 オリンパス元社長「妻に耐え難い苦痛」 復帰断念  :日本経済新聞 このエントリーをはてなブックマークに追加
 結局、私たちの国は、長い田中派支配の時代に築き上げられた、政官財の癒着構造で、雁字搦めにされている。 
 ‘格差社会’だ、‘新自由主義’だと、中身のない戯言をわめきちらしたマスコミもその構造の一部なのだ。
 先月、『さよなら!僕らのソニー』という本の書評を紹介した。
 あの書評子は、けっこうちゃんとした作家の人なのだが、ソニーが没落したことだけでなく「そうしたアメリカニズムというもの」が、この国の各界のリーダーを毒している、と書く一方で、「上手くすればソニーがアップルを買収していたかもしれないのに・・・」と嘆いている。
 アメリカのせいだ、といいながら、アメリカに恋い焦がれている。
 この、中学生でも指摘できる矛盾は、しかし、長い間、もしかしたら明治以降ずっと、私たちを支配してきた心理だったかもしれない。
 表向きだけ西洋の真似をして、都合が悪くなると、西洋を批判する。
 Occupy Wall St.デモの起きたアメリカでは、人口の1%が富の99%を支配しているそうだ。だが、それはアメリカの話、日本ではない。
 そして、その一方では、アメリカは、スティーブ・ジョブズビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグなど若い起業家たちが経済を活性化してきた。
 私たちの国の問題は、アメリカとは関係ない。
 私たちの国の基幹産業を起業したのは、まだ官僚主義がはびこらない戦前の豊田佐吉松下幸之助
 一方で、今の私たちの国は、腐った連中がグルになってカネを回している国。
 私たちがこれからどこへ向かうにせよ、今、眼前にある官僚支配の構造をなんとかしなければ、どこへも向かいようがない。
 それを差し置いて、‘格差社会’だの‘新自由主義’だの、おかどちがいも甚だしい。
 今週の「週刊SPA!」に、ぐっちーさんが面白いことを書いていた。

・・・我々現代日本人の平均収入を換算するとベルサイユ宮殿にいた当時の貴族よりはるかに金持ちである一方、中国人労働者の平均賃金は産業革命当時のイギリス人の最低賃金よりさらに安いのですよ。
 この格差を認識しないかぎり、現代の世界情勢は説明できない。ほぼすべての日本人が昔の貴族同様の生活をしている・・・となれば、そこに起きるのは、まさにベルサイユ並みの腐敗、欲情、怠惰、無責任であることは歴史が証明しています。

 そう考えてみると、‘格差社会’だの‘新自由主義’だのとわめいていた連中も、実はそれがウソだと知っていたのかもしれない。マスコミの尻馬に乗って、官僚にしっぽを振っている方が楽だということだったのだとすれば、バカよりなお悪い。腹の底から腐っている。
 そして、それが、彼らにとって、この国に生きるための‘会費’だったというわけだ。