「百合子、ダスヴィダーニヤ」

knockeye2012-01-22


 浜野佐知監督の「百合祭」をジャック&ベティにリクエストしたことがある。
 そんな縁故(どんな?)で、「百合子、ダズヴィダーニヤ」を観にいくことにした。
 それに、このロシア語の響きがなつかしくもあった。「さよなら」というロシア語である。
 この映画のプロットは中條百合子と湯浅芳子の関係が軸だが、ほんとうのドラマは、湯浅芳子と、この映画の原作者、沢部ひとみのあいだにあるように思った。
 この作品を監督した浜野佐知も、女性が映画監督をすることに非常に苦労したと聞いているが、この映画が描いている1924〜5年ごろ、女性の社会的地位がどうであったか、ちょっと想像してみることさえできない。
 ただ、女性は近代化の外側に追いやられたとは言えるのではないか。
 というより、男たちは、近世まであった日本社会とは別個に、近代工業社会を築こうとしたのではないか。昼間は近代工業社会で働き、夜になれば近世日本でくつろぎたかった。そのとき、女は近世日本にいてほしかった。ということではないかと思う。
 その意味で、この映画で大杉漣が怪演している荒木茂(百合子の最初の旦那さん)の感覚は、常識的で、百合子に対する態度は、夫として誠意があったとさえ言える。
 だからこそ、そのおかしさが際立つのだけれど、私たち日本の男は、だれも彼を笑えない。なのでいっそう笑っちゃう。
 荒木が百合子に呼びかける「ベイビー」や、百合子の口癖「ワンダフル」荒木茂はアメリカ生活が長い。百合子も両親共々英語には堪能だった)は、舶来の近代社会のなかで男女関係がいかに居心地が悪いものだったか、を思わせる。
 おそらく、そもそも日本の近代社会に、男女関係の居場所などなかったのだろう。本来、社会は男女で成り立っているはずなのだから、日本の近代社会がいかに非人間的であったか、その後、非人間的な戦争へ突き進んでいく地ならしのようで気味が悪い。
 湯浅芳子は、「自分は男が女を愛するように女を愛する」と公言していた女性。芳子は、自分をさらけ出しているにすぎない。その自己肯定こそが近代そのものであるはずなのだが、百合子は、芳子に近代だけを見て、芳子の自己を見ていない。それが芳子にとっての悲劇である。
 百合子の恋愛遍歴は、アメリカで独立して研究生活をしていた荒木茂、女性を愛する湯浅芳子共産党書記長宮本顕治。まるで「理念」だけを愛して「人」を愛していないように見える。
 関係が破綻したあと、百合子は芳子を変態であったかのような文章を発表するが、百合子が‘変態’だとしたそのことが、人間の個性であり、それを認めることこそ近代であるはずだった。
 今の時点から振り返ると、百合子ではなく芳子こそ近代の先駆者だった。
 その意味で、沢部ひとみ湯浅芳子の間に交わされる会話にこそドラマがある。
 パンフレットに沢部ひとみのインタビューがある。

 湯浅さんが私に教えてくれた一番大きなことは、人生の孤独と、孤独の裏腹にある自由ということだったように思います。
 亡くなる前、同じ病室にいたおばあさんが「寂しいよぉ」というのを聞いて、私が
「先生も寂しい?」と聞いたとき、
「孤独だけれど寂しくはない・・・同じ魂の人間もいるし」と答えてくれました。
 今になって、私はそれが湯浅さんの遺言であり予言であったと受け止めています。

その一方で湯浅芳子のこんな言葉もある。

 生涯で誰が一番好きだった?と聞いたときに
「一番は百合子、次はセイ、あとはみな同じやな」と答えていました。
 百合子のことは口癖のように
「百合子はえらかったよ」といっていました。
 自分のだめなところを率直に言ってくれてありがたかったとも。
(略)
女性にとって「私はあなたを愛し、あなたの仕事を愛する」という言葉ほどすばらしい愛の言葉はありません。二人は対等な人間としてお互いに敬意を持ち、高めあう関係でした。ここが二人の愛の一番肝心なところで、湯浅さんも百合子もそんな関係を持てた人は初めてだったろうと思います。

 浜野佐知監督は、ユーモアの資質があるのだろう。根底に愛情のある上質なコメディーだと思う。
 実際、どんな三角関係も、喜劇には違いないのだ。
 とくに、男性としては、荒木茂が気の毒で、それ以上におかしくてしかたなかった。それはもちろん、大杉漣のスキルということでもある。
 それは、百合子の母親役、吉行和子にもいえる。
 やっぱり役者の力量って大事なんだなと、当たり前のことに感心した。
 上映後、浜野佐知監督と脚本の山崎邦紀氏のトークショーがあり、パンフレットに監督のサインをもらった。
 そのあと、下のティールームで監督を囲んでのお茶会があったのだけれど、もともとそういうのが苦手というだけでなく、ちょっと後に予定があったので遠慮させていただいた。
 伊勢佐木町の横浜ニューテアトルに「幕末太陽傳」を観にいったの。そのことはまた他日。
 ちなみに、はてなダイアリーにも「百合子、ダズヴィダーニヤ」のサイトがありました。
http://d.hatena.ne.jp/hamanosachi/