松井冬子展

 松井冬子は‘美しい’と、あまりいわれるのは鬱陶しいんだろうと思う。
 謙遜するのがイヤミなほど美しいんだし、それでも、容色は移ろいゆくのだし、絵で評価してほしいと思っているだろう。
 絵は潔いほどきっぱりと日本画している。ただ画題が伝統的ではないのと、とくに人物デッサンが日本画のそれとは違う。同じ美人画でも、鏑木清方伊東深水なら、あるいは小倉遊亀なら、もっと線だけで表現しようとするだろう。松井冬子は三次元でとらえてしまう。
 洋画、日本画という分け方にそもそも何の意味もないといってしまえばそれまでだが、比較的伝統的に描かれている草花に対して、人物だけがダ・ヴィンチのようなのは、女性の美の概念が、伝統的な日本画のなかに納まり切らなくなっている、それは、松井冬子に限らず、現代女性の自意識だと思う。
 だから、常々思っているのだけれど、松井冬子は、もうすこし他者を描くべきだ。具体的な誰かをモデルに、他者の肉体を描いたときに、それがどういうアプローチになるのかは興味深い。
 それと、絵のタイトルが独特。
 <この疾患を治癒するために破壊する>という絵があるのだけれど、これなど、普通に<桜花図屏風>としておいたほうがはるかにインパクトがあると思う。しかし、松井冬子の場合はそうはならない。桜の絵でさえ内面のテーマと捉えられているから。
 <世界中のこと友だちになれる>の制作過程が展示されていた。構図の変遷がわかって興味深い。論理的に考え抜かれている構図だとわかる。