bunkamuraル・シネマで「別離」。
この映画も「ルルドの泉で」とおなじように、エンディングがすごくよくて、結局、何も解決していなくて、エンディングからそのまま、またオープニングにもどったような、映画全体がまるで一炊の夢であったかのような、そんな感じをさせる。
観客が迷い込んでしまうのは、裁判所の廊下で順番を待つ、一組の夫婦の‘彼らの事情’だが、その彼らが、空を飛んだり、機関銃を乱射しなくても、映画は成立する。
無言で交わされる子どもたちの視線が印象的。この映画を見た人なら誰でもそう思うはず。でも、あの視線はこういう意味ですと、言葉で説明すればウソになるだろう。あの目はしかし切ない。
これほど水準の高い映画を生み出す人たちが、無謀な戦争に駆り立てられるとして、それが宗教のせいだとすれば、すこし考えさせられる。ゲーテの「詩と真実」を読んでいると、‘ギリシャ哲学の明晰さの伝統にいてほんとうによかった’と述懐するところがある。うろ覚えだけれど、それは仏教にふれたところだったと思うのだが、ゲーテが‘明晰’な方の仏教を知り得なかったのはむしろ当然として、このとき、‘キリスト教徒でほんとうによかった’とは書いていなかったとおもう。
ロビーにパンフレットの他に、マルジャン・サトラピの本が置いてあった。彼女も、イランを出国したあと、まだ一度も帰国していないはずだし、おそらく二度と帰らないのだろう。
そもそもイランという国が、イスラム教の国なのかというあたりにも疑問がある。イラン、つまりペルシャの歴史の方が、イスラム教の成立よりはるかに古い。イスラム以前のペルシャはゾロアスター教の国だったと、マルジャン・サトラピは書いていた。
たとえば、私自身は、浄土真宗の門徒であり、日本人だが、浄土真宗の門徒であることと日本人であることは、まったく別のことだ。書いてみて改めて思うけど、これこそ書くまでもなく当たり前。じゃあ、イランの人も、イスラム教徒であることとイラン人であることは別でいいんじゃないの。
イラン人はイスラム教徒であるべきといわれると困る人が出て来ると思うし、それよりなによりウソだと思う。なんか戦時中のおバカな日本人の考え方に似てる。そのおバカがこの国を滅ぼしかけたんだけれど、そのことを思うと、ホメイニという人をどうやって乗り越えていくかが、イスラム教徒にとってもイラン人にとっても重要なテーマなんだと思う。
しかし、どうなんだろう。マックス・エルンストが言ったとおりになるのかも。
「機械仕掛けの人間たちは、自分たちは、なるほど魂は持っていないが、しかし死ぬことはできる、ということを証明するため、互いに殺し合う。」
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せっかくbunkamuraに来たので、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ほつれ髪の女」を観た。
ようするに‘いい女’ということで、それ以上でも以下でもない。でも、展覧会の全作品中、ずばぬけていい女なんだから、それはやはり大したもの。
‘いい女’ついでというわけではないけれど、原宿の太田記念美術館で「春信、清長、歌麿」。
やはり、鈴木春信の絵がもっとも訴えかける力があると思う。春信の絵は、目に訴えかけるというより、イメージに直接訴えかける。清長や歌麿が初期の頃に描いたほとんど春信のような絵も展示されていた。春信が江戸の美人画家たちに与えた影響は大きいと思う。
司馬江漢の美人画もあった。司馬江漢は、鈴木春重ともいうが、一時期ニセの春信を演じていたことがある。春信が人気絶頂で急死してしまったために、代役にたてられた。従って、今でも春信のサインがある絵の中に、司馬江漢の絵が混じっていることになり、なかなかややこしいことになってはいるらしい。おおむね、‘春信にしてはへただな’と思える絵は、司馬江漢、鈴木春重だと思っていいらしい。
これもうろ覚えだが、鈴木春信が錦絵を作り出すにあたっては、とうじご近所に住んでいた平賀源内がいっちょかみしているらしい。司馬江漢を春信の代役にたてたのは平賀源内らしい。
この三人がどういう関係であったかというようなことに思いを馳せてみるのも、ちょっとした鑑賞のスパイスになるかも。