ジャクソン・ポロック展

knockeye2012-04-22

 東京国立近代美術館にて「ジャクソン・ポロック展」。
 2月から開催されていたこの展覧会に、行くかどうか迷っていたのは、この画家の生涯のいたましさが、そのころのアメリカの若さともあいまって、すこしまぶしすぎると思えたからだった。まぶしいほどにいたましい。
 そして、こういう言い方をして伝わるかどうか、私たち日本人にとっては、やや近すぎると感じられたせいでもある。
 今回、はじめて知ったのだけれど、ポロックは重度のアルコール中毒のために、ユング派のセラピストにかかっていたそうなのだ。
 河合隼雄が紹介していて、いまでもとても印象に残っているユングの言葉に「西洋人は意識を心と呼ぶが、東洋人は無意識を心と呼ぶ」というのがある。
 たとえば、過去のことを問うとして
「あなたはあのとき○○と思ったのではないですか?」
という問いに対して
「たしかに‘心では’そう思ったかもしれません」
と東洋人が答えたとすれば、それは‘無意識に’思ったということなのだが、西洋人はそう受け取らない。‘今までウソをついてたんですね’ということになる。
 無意識という発想は、西洋にはなじみが薄かったようで、私たちが‘無意識’で説明することを西洋人は‘天使’や‘悪魔’のせいにする。
「そのとき悪魔が私にささやいた」なんて西洋人が言うと、東洋人としては「ふざけてんのかこいつ?」と思うが、たぶん本人は大真面目で、あれはわたしたちなら‘無意識’というところなのだろう。
 話を元に戻すと、‘近すぎる’と私が感じるのは、そうした部分。ポロック自身の言葉でいうと
「絵の中にいるとき、私は自分のしていることを意識していない。「知り合う」ための時間を過ごした後、やっと私は自分のやっていたことをわかるようになるのです。」
 こうしたかならずしも明確ではない表現は、むしろ私たちにはなじみ深いものではないか?ただ、これがはたして当時アメリカ人に伝わったのか、そして何よりジャクソン・ポロック自身が確信を持てたのかと思うと、いたましく感じる。
「これは絵なのだろうか?」
と、妻のリー・クラズナーに尋ねたと伝えられている。その問いがまぶしい。自分の作品について「これは絵か?」と問うた画家は世界にひとりもいない。
 「これは絵か?」どころではない。1950年の<インディアンレッドの地の壁画>は、まぎれもない名作。1945年の<トーテム・レッスン2>から1950年までの絵画はどれもすばらしい。ところが、その後のブラックポーリングにいたる作品には、何点かはよいものの、衰えが顕著。1950年のころの手法にとどまっていればよかったのにと誰もが思うだろう。
 仏教徒にいわせれば、ポロックは無意識の扱いに不慣れだったというだろう。‘蔵識は瀑布のごとし’という。現代風に言うなら「無意識は滝のようなものだ」ということになる。一枚の布のように見えて、実は、一瞬たりとも同じではない。だからそこにとどまり続けてもそれはけして停滞ではない。
 しかし、それは口で言うほど簡単ではない。村上隆が絵を描くことについて、大きな深い穴に身を乗り出して、その暗闇から何かを掬いだしてくる作業だ、みたいなことを言っていたのを思い出す。
 晩年のブラックポーリングの黒い画面を見ていると、その闇の中で途方に暮れているポロックの姿が浮かぶ。1956年に44歳の若さで事故死している。
 横浜美術館の「マックス・エルンスト展」と対比してみると面白いだろう。同じように無意識の手法を用いているが、彼は自分がやっていることに自覚的。自分の描いているものが絵であるか、自分は画家であるか、といった自分探しになやむことはなかったはずである。