森美術館で開かれている「塩田千春展 魂がふるえる」。
ある作品の、キャプションというのかどうか知らないけど、とにかくそれにこう書いてあった。
塩田千春にとっての「線」が「糸」であるのは興味深い。「線」が三次元に存在すれば、それは「糸」と呼ばれるはずだからである。そして、3次元の「線」は、絵でも字でもなく、すでに糸でもないはずである。
靉嘔が初めて虹を描いたとき「これでもう絵を描かなくて済む」と思ったというエピソードが以前の展覧会で紹介されていたが、塩田千春はそうして「糸」を手に入れたことで、もう「線」を描かなくてよいのだ。
画家が、どのようにして「描く」という営みから逃れることができるかは、けっこう決定的なテーマで、「コンセプト・アート」なんてお題目をとなえながら、それもどきの、いかにもそれっぽく見えることをやってみたからといって、描くことから逃れられたとは言えない。単に描かない画家よりは、単に描く画家の方がましなのである。
塩田千春は描けなくなり、苦しまぎれに、乾燥した豆のさやをつないで「線」にした。
そして、その線が、自分の顔の上を通過することを発見した時点で、線を描かずに、三次元に発展させうることに気づいたと思う。どこか、草間彌生の「無限の網」を思わせる。
これはまだ京都精華大学在学中、留学していたオーストラリアで作った作品だそうだから、ここから線が、空間へと増殖し始めたと想像しても、そんなに的外れな思い込みではないかも。彼女が「糸」を使った最初の作品はこの同じ年に京都精華大学で発表された≪from DNA to DNA≫だそうである。
ともかく、靉嘔とっての虹のように、塩田千春にとっての糸は宿命のように見える。それは鑑賞者の視点からそう見える。
なので、そういう視点から見てみると、2002年の≪不確かな旅≫
や、2002年の≪静けさの中で≫
のパフォーマンスは圧倒的である。
この糸には始まりも終わりもないという意味で、走り回る線であり、しかし、空間に現に存在するという意味で線ではない。というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチが聖母を描いた精緻な線にしても、現実世界には存在しないから。
しかし、これに対して、2014年の≪集積:目的地を求めて≫などは
このロープは、線ではなく、カバンをつるしているロープに過ぎなくなっている。2002年の2作品においては、なにものでもなかった線が、ここでは、自らを疎外し、ロープという日用品に堕してしまっている。これは望ましくないと思う。
私が今回の展覧会以前に知っていた塩田千春の作品は、今回も写真だけ展示されていたが、靴を赤いロープで結んだ2008年の≪大陸を越えて≫だったが、あれはそんなに感心しなかった。
あれは、文字通りのコンセプトアートだった。コンセプトアートの問題は、所詮、コンセプトを越えないことで、コンセプトアートの作品は、A4用紙にコンセプトを書いてくれれば、作品を見る必要はない。コンセプトがアートなんだからね。
コンセプトだけでは伝わらない何かが伝わるという意味で、わたしは2002年の2作品を評価したい。
写真で紹介されていた他の作品では、
1996年の≪類似性≫は、黒い糸に赤い絵の具をたらし、そのしたたりを作品にしている。ポロックの反響をここに観てしまう。
また、
糸を使ったものではないが、2001年の≪皮膚からの記憶≫は、まず、ドレスの巨大さが、ドレスをその用途から脱落させる。一方で、そのドレスが吸い上げる泥水が、衣服の記憶を刺激する。
同じくドレスを使った作品で、
こういうのもあった。これは、うっかり作品名をメモし忘れた。
また、権利関係で撮影が許可されていなかったが、数多くの演劇で舞台装置も手掛けていて、これらも彼女の活動の重要な部分を占めているのだろう。
先ほどの≪静けさの中に≫のような作品を舞台として、演劇や舞踏が演じられると想像してもらいたい。彼女の作品の持っている空間意識が演者を刺激することは間違いないだろう。
美しいけれども、キネティックアート寄りである。視覚に訴えるが、記憶には訴えない。
むしろ、
こうした小品であっても、この赤い糸が塩田千春なのではないかという気がする。
ジャクソン・ポロックは、自分の絵を前にして「これは絵なのか?」と呟いたことがあったそうだ。
一方で、鑑賞者は、これこそポロックだと知っている。残酷な話なんだろうか?。
中島清之が、片岡球子を帝展から院展に引き抜いたときに、小林古径が片岡球子に「自分で自分の絵にゲロが出るほど描きつづけなさい。そのうちにいやになってくる。いつか必ず自分の絵に、あきてしまうときが来ます。そのときから、あなたの絵は変わるでしょう。薄紙をはぐように変わってきます。それまでに、何年かかるかわかりませんが、あなたの絵を絶対に変えてはなりません。」と語ったそうだ。
塩田千春は、この糸と格闘し続けるしかないのだろう。もはやこれは塩田千春の世界なんだし。