東京都現代美術館でトーマス・デマンド展。
いろいろな風景を精巧なペーパークラフトで再現して、それを写真に撮るひと。たとえば、アメリカ合衆国大統領執務室などは、あまりに精巧すぎて実際の大統領執務室を写真に撮ったのとほとんど変わらない。
大統領執務室はそう簡単に入れないところだし、画像がでかいし、よく見れば紙かなみたいなところだけれど、そのへんの浴室なんかは紙だろうが紙でなかろうがどうでもいいので騙されてしまう、というか、これは騙されたというのか、なんというのか。「で?」みたいな。
こういうのがいっぱい並んでるなかを歩いてまわるわけ。絵を見るってなんかこんなことで、
「何になんの?」
とか
「こんなことしてる間に、恵まれない人のためにできることがあるんじゃないの?」
とかいいつつテレビ見ている人がいる一方で、こんな絵を見ながら小一時間すごす私などもいるわけである。
スチルより動画のほうが面白かった。雨が降ってる地面とか、嵐に揺れる豪華客船パシフィック・サン号の船内の様子とか。動画っていうか、これもペーパークラフトなのでアニメーションというべきかも。
新収蔵展に奈良美智がけっこういっぱいあった。今度、7月14日から横浜美術館で奈良美智の展覧会があるので見に行こうと思っている。
MOTにいったらチェックせねばと思っていたのは、開催に間に合っていなかった靉嘔展の図録がやっと出来上がっていた。しかし、靉嘔らしいのかなんなのか、新聞を縦に折ったような奇妙な判型で、そのわりに中の絵が小さいみたいな。しかも、別紙に解説が付いてくるみたいな。面白いけど、なんか違うかと思って買わなかった。
三井記念美術館でホノルル美術館所蔵「北斎展」の後期。
この展覧会にまたしても足を運ぶのは、北斎の代表作としてあまりにもよく知られた富嶽三十六景を見たいがためなのだから、我ながらすこしあきれる。
ホノルル美術館が所蔵する10000点を超える浮世絵の中核をなしているのは、ジェームズ・A・ミッチェナーのコレクションだそうだが、彼は、‘北斎に七十歳以後の二十年がもしなければ、凡庸な挿絵画家以上の評価は獲られなかったのではないか’みたいなことを書いているそうだ。
是非はともかくとして、富嶽三十六景を見ていると、そう言いたくなる気持はじつによくわかる。北斎は齢七十を超えてこれをものした。
ホノルル美術館所蔵の北斎は状態が良いと素人でもそう感じる。一番惹きつけられるのは、<甲州石班澤>、<信州諏訪湖>、<相州七里濱>、<武陽佃島>など、藍一色で描かれている作品で、本来の意図は全図藍一色で刷られるはずだったともいう。そういう目で見ていくと、他の作品も、藍一色で成立するだけでなく、その方が印象深かったのではないかとも思えてくる。<武州玉川>、<青山圓座の松>、<御厩川岸より両国橋夕陽見>、<東海道金谷の不二>、<甲州犬目峠>、<甲州伊沢暁>、など、他の色があるのが惜しいとさえ思える。
そして、<凱風快晴>と、<山下白雨>にだけ赤を使うつもりだったのではないかと思うと、それだけでわくわくするのだがどうだろうか。
根津美術館で、中世人の花会と茶会。
根津美術館にはけっこうよくいくが、これは、千代田線が小田急直通なので、渋谷、新宿、日比谷とか、あのあたりに出たとき、帰りにちょっと寄るみたいな感じになることが多いため。
しかし、この日は、赤楽茶碗 銘 無一物を籐の敷物において、砂張の釣舟に白い花(ナツツバキかと思ったけど、よく見ると芙蓉かな)を生けたこのポスターが、初夏の夕暮れに気分をさそったからだった。庭もよいし。
ほんとに花を生けて展示するのかと思ったら、さすがにそれはしないのね。
言葉から中国人とわかる方がお三方(杖をついた老婦人と、男性ふたり、ご家族なのかな、皆さん背が高い)が、知的な感じの声で、何かしきりに感想を言いながら、青井戸、熊川、雨漏、などの茶碗、あるいは、牧𧮾の漁村夕照図などを見て歩いていた。それはすごくいい感じ。鎌倉時代、日中の禅僧達が、国境を越えて交流していたことは以前にも書いたが、そういう開放感をたぐり寄せることもできる時代に、今生きていると改めて感じた。
そういう国際色豊かなのもこの美術館の特徴。受付の女性はさらりと英語を話す。この間、光琳展の開場を待っている行列で、白人の女性に‘Do you speak English ?’と話し掛けられた。ロシアでそう聞かれたら‘Yes’と即答していた私だが、表参道あたりでは、もちろん‘No’。他の人にあたっていただければよろしいかと。情けないけどね。