仕事終わりに携帯で確認すると、
「民主党の反対議員は57人」
とあった。
ところが、それに続いて
「小沢元代表、党に残って再生に尽力」
って、ちょっと「あはは」っていう。
そもそも今度の消費税増税は、自民党と公明党が賛成に合意した時点で、事実上成立していた。もし、本気で成立を阻止するつもりなら、採決で反対票を投じる云々ではなく、採決前に何らかのアクションを起こさなければならなかったはずである。
つまり、採決前に、今回反対票を投じた50余名が全員離党していれば、自民党、公明党の側にも何らかのリアクションがあったはず。
法案の成立には何の影響も出ない反対票などは、単なるパフォーマンスに過ぎない。
その背景には、いわゆる小沢チルドレン、先の選挙で議員になったばかりの、選挙区に地盤がない議員たちが、このまま次の選挙に望めば、それは惨憺たる結果が目に見えているということがある。
小沢チルドレンたちが、次の選挙で、せめて街頭で石でも投げつけられないためには、
「消費税増税に反対票を投じました」
という、免罪符というか、‘おけちみゃく’というか、なんかそのようなものが必要だったのである。
小沢一郎としては、これで、小沢チルドレンたちにも面目が立ち、党執行部に対しても、法案は成立したわけだから、「党に残って再生に尽力」で‘いいでしょ?’というわけ。
なにが‘いい’のかというと、‘選挙対策として’これで‘いいでしょ?’という、たしかに選挙屋としては一点非の打ち所のない落としどころなわけ。むしろ「お見事」といってもいい、‘選挙屋’としてなら。
先月の30日に小沢一郎の消費税増税についての発言を日経WEBからコピペしておいた。筋の通った発言だが、ただし、みんなの党のぱくりだと、江田憲司に苦情を言われていた。
そのまえ5月25日の記事に、小沢一郎についてこう書いた。いまふりかえると、‘いみじくも’と付け加えたくなるが、
今回の‘消費税増税反対’も貫くか、それとも、政局に利用するだけか。もうすぐ答えが出る。
私の中では、もう充分だが、小沢一郎にかぎらず、‘救世主伝説’みたいなものにすがって生きるのは、民主主義社会の市民としてはちょっとどうかなと思う。
小沢一郎夫人の手紙が掲載された翌週の週刊文春に、様々な反響が寄せられていたが、その中に、小池百合子の感想が私としては感慨深かった。というのも、あの記事を紹介した時、去っていった盟友と書きつつ頭に浮かんだ何人かの一人が小池百合子だったから。
小池百合子は、94年の新進党結成から自由党にかけての6年間、小沢一郎と行動を共にしたのだが、「あれ?」と思う瞬間が何度かあったそうだ。
その一例として、こんなことがありました。党の大切な局面で、当時党首だった小沢さんと連絡がとれなくなったんです。周囲は慌てて大捜索をしました。ところが、どうやら八丈島に釣りに行っていたらしい。さすが大人物と思う一方で、一種の虚脱感を覚えました。
小沢さんは、ここが勝負というときに、意外と引っ込み思案というのか・・・・。
そういうことが重なって、私よりもっと側近の、小沢さんと身近に接していた人たちほど、さっさと彼のもとを去っていきました。
たぶん寄稿ではなくインタビュー記事なので、いくぶん控えめな表現になっているが、証言されている内容を考えると、その当座は‘虚脱感’‘引っ込み思案’で済んだかどうか。
マスコミによると、細川政権誕生からおよそ20年間、この国の政治は小沢一郎を中心に動いてきたことになっている。それは言い換えると、この国のマスコミの政治感覚が小沢一郎と同レベルだったということだろうと思う。
あえていえば、小沢一郎はそもそも田中角栄の選挙屋として有能だったに過ぎなかった。そして、おめでたいことに、この国のマスコミにとっての「政治」はまさにそれだけで、マスコミと小沢一郎はなかよく政局ごっこを繰り広げてきたということなんだろう。
推測に過ぎないが、今回のことも、小沢一郎自身は、内心、上手くやったと思っているような気がする。
しかし、そうした政治哲学のない政局騒ぎは、国際社会からも、国民からも、とっくに見放されているとわたしは思う。