たぶん古い常識が滅びようとしている

 民主党両院議員総会が開かれたが、小沢派の議員が、例によって、お遍路がどうのこうのと、曲のないイヤミをたれただけで、今朝の新聞には‘開く意味があったのか?’との地元議員の声が紹介されていた。
 あまりにも対照的でおもしろいのだが、週刊SPA!に上杉隆が書いている記事によると、菅直人が成立を目指している再生エネルギー促進法案には、

6月15日の時点で、実に、206人もの国会議員が早期成立に賛同し、一大勢力に膨らんでいる。注目すべきはその顔ぶれだ。

現役閣僚、反執行部系の議員、野党からも各党のトップクラス、そのほか、公明党みんなの党たちあがれ日本と、ほぼすべての党派から賛同者を得ている。
 実現するかどうかわからないが、電力の自由化を争点として解散総選挙が戦われることになった場合、いまある政党の勢力図とは無関係に、上記超党派の議員たちが、電力自由化のためのマニフェストを掲げ、時限政党というかたちで戦うことになるのだろう。
 ‘菅直人おろし’のために画策された‘大連立’は、なんの政策もない‘野合’にすぎなかったが、いま、党派を超えて集まっているこれらの議員たちは、電力の自由化という政策実現のために連立している。
 このことは、立ち止まって考えてみる価値がある。
 たしかに、政権交代は、バラ色の未来に虹の橋を架けはしなかったが、あの政権交代の夏に、私たち国民が、政治がこう変わってほしいと願った、そのひとつの姿は、党利党略ではなく、政策のために政治が機能してほしいということであったはずだ。
 電力の自由化という重要なテーマを目の前に、菅直人個人の好き嫌いを云々しているひとは、意識が低すぎるといえないか。
 だが、それは、この国の政治やマスコミが、高度成長と自民党一党支配の体制のもとで、‘常識化してきた不条理’だったといわざるえないだろう。
 週刊現代に、日垣隆が、海部俊樹のことを書いていた。
 じつは、菅直人が辞任を表明したと聞いたとき、私が真っ先に思い浮かべたのも、海部俊樹だった。政治に何の興味もなかった当時の私でも、あの辞めかた(辞めさせられ方?)のひどさには義憤を覚えたものだった。

・・・長い間、この国では総理大臣が、官僚トップや組閣時の人事権すらもてなかった。最もひどかった事例のひとつが、海部内閣の組閣時に、大臣ポストが派閥の領袖だけによって決められ、海部氏はその場にいることすら許されなかったという事実。
 その結果、盤石の態勢が「常識化」してしまい、大臣はただの「おかざり」であり「次の立候補時に有利となる肩書き」でしかない時代が続くことになる。盤石の態勢とは、悪しき官僚政治のことだ。

 海部俊樹は、政治改革を目指すが果たせず、ついには、解散さえ「させてもらえず」辞任に追い込まれた。そのとき海部俊樹を恫喝したのが、小沢一郎の義父、金丸信だったと記憶している。
 若い人たちは、きっと知らないだろうが、この国の政治、そして、マスコミは、ついこないだまでこんな程度のもんだった。
 それを長い時間をかけて、すこしずつすこしずつ改革してきている、いまはその途次にすぎない。この歩みが遅すぎることが、この国の失われた時代の根本的な原因であることは、あの頃の空気を憶えている人間にとっては、むしろ自明のことだ。

・・・記者たちは政治そのものに無関心なくせに、トップおろしという名の政局にだけは異常な量のドーパミンを出す。
(略)
「辞めたがらない」と「責任を全うしようとしている」がどう違うのか、も、マスコミは言葉の定義なしに使い続けている。

 そもそも、菅直人がほんとに‘辞める’といったのかどうかも、かなりあやしい。「菅直人辞任表明」という記事が、先に用意されていた、なんてことは、この国のマスコミでは日常茶飯事だったのである。テレビで‘辞めろ辞めろ’を連呼している連中がそれを知らないとは言わせない。問題なのは、そうした不条理きわまりないことが、彼らの中では、業界の常識として受容されてきたこと。そして、滑稽なのは、そうした業界の常識が、社会全体には通用しないかもしれないと疑いもしない、視野の狭さと意識の低さが、この国のマスコミを支配しているということなのだろう。
 日経ウェブに

 民主党小沢一郎元代表は28日夜、都内で同党参院議員約10人と会い、菅直人首相(民主党代表)の後継を選ぶ党代表選に関して「震災復興と福島第1原子力発電所事故の収束ができる人が必要だ」との認識を示した。自身のグループの対応については「首相が辞めた後だ。今から動くと潰される」と語った。

 大震災のさなかに政局騒ぎを起こしておいて、後継者は「震災復興と原発事故の収束ができる人」って。当たり前じゃないか。そういう人がもしいるなら、現総理の下にはせ参じて、力を発揮すればいいだけのこと。なぜ、原発事故に責任の一端がある自民党と通じて、政局をかき回す必要がある?
 以前にも書いたことだが、みんなの党の松田公太が、週刊SPA!に書いた記事に、あの震災の直後、‘東北に関わりある議員は、一週間被災地に入るべからず’という旨の文章が回ったとあった。誰が首謀者か知らないが、‘抜け駆けするな’という、選挙のことしか頭にない人物の仕業だろう。そういうときこそ真っ先に被災地に赴くのが政治家の仕事であるはずだと思う。私にいわせれば、そんな文章の存在自体が許し難いスキャンダルだと思うがちがうだろうか。
 上のことが小沢一郎の仕業だというつもりは毛頭ない。また、事実関係を調べることもたぶん難しいだろう。しかし、鳩山由紀夫小沢一郎が、この震災以降何をした?端的に言えば、彼らは、この震災を政局に利用しただけではないのか?
 そして、いま、都内の料亭かなんかで側近と会って‘後継者は「震災復興と原発事故の収束ができる人」’が、「いいなぁ」って、話し合ってるのか?
 細野豪志原発事故担当相に就任した。
 すでに、辞任を表明した総理の下、急ごしらえの組織でどの程度のことができるのか、困難な選択だったと思う。旧来の永田町の常識でいえば、断る選択肢もあったはずなのである。しかし、断らなかった。事故以来、細野豪志が懸命に対応にあたっているのは見てきている。いま現にがんばっている人に、石礫をぶつけるようなことは、私はしないつもりでいる。
 菅直人よりも、彼が「引き継ぎたい」といった若い人たちのなかに、私は希望を見たいと思っている。その若い人たちが働けるために、菅直人にはもう少しがんばって、しがみついていてもらいたいと思っている。
 小沢一郎のまわりに誰がいる?まわりに集まっている人を見れば、その人の品性は自ずと知られる。