停滞しつつ漂流するこの国の政治の体質

 菅直人おろしのいきさつは、自民党の現在を浮き彫りにした、という視点ですこし考えてみたい。自民党を支配しているのは、結局、族議員で、その体質こそが、失われた二十年の元凶だったはずではないかと言いたいのだ。
 先日も書いたように、電力不足がさまざまな企業活動の足かせになっている一方で、発送電を電力会社が独占していることがネックになって、全国の企業が自家発電している余剰電力(東電の発電量に匹敵する)が無駄になっている。
 であれば、原子力発電の安全点検、自然エネルギーの普及、とともに、発送電分離に即座にとりかかるべきであることは、むしろ、論理の赴くべきところである。
 しかし、経団連の米倉会長は、発送電の分離を‘動機が不純’と批判し、いまでは震災の復興会議にさえ顔を出していない。
 また、楽天の三木谷社長が指摘しているように、この時期に、関西経済連合会の会長に、関西電力の会長・森詳介が選任されたことも、なにか違和感を感じさせる。
 こうした経済界の動きが、政治に反映する(それはしないわけはないのだけれど)とすれば、どのようなかたちになるのだろうか。
 そのひとつの先例として、先日引用した日経の記事が参考になる。
 記事によると、2002年、実現に向けて動き出していた発送電分離の議論を、東京電力の幹部が、自民党の電力族議員を動かして、封じ込めたのだった。
 6月4日と5月31日の記事に繰り返して書いたことを、上記の埋蔵電力に関する記事は、側面から補強してくれている。
 つまり、今回の菅直人おろしをめぐるごたごたを、自民党にスポットを当ててみたとき、浮かび上がってくる自民党の姿は、既得権益族議員が結託して、マスコミを動かす、そして、数の力を背景に政局を作る、あいもかわらぬ族議員政党としての姿なのである。
 その体質こそが、失われた○○年と呼ばれる停滞の本質であり、その体質がかえられないからこそ、政権を失ったのにもかかわらず、真摯な党改革も失敗の分析もないまま、敵失だのみで政権に割って入ろうとする姑息さが、今回の菅直人おろしが国民に理解されない本質的な原因であると思う。
 参議院選での惨敗以来、菅直人のリーダーシップについては、いろいろ書いてきたが、一方で、民主党議員たちのフォロワーシップもそうとうお粗末だと指摘しておきたい。
 今回の菅直人おろしの背景に、東京電力自民党の画策があると理解できないとすれば、それは政治に適性がない。
 そして、小沢一郎鳩山由紀夫の口車に乗って騒ぎ立てた結果がどのようなことになるか、予測がつかないのだとなると、やはり、民主党の政治家は烏合の衆なのだろう。
 民主党にはリーダーシップもフォロワーズシップもない。
 結果として、自民党を利しただけだが、利された自民党もいまだにアンシャンレジームから抜け出せず、党を動かしているのは、結局、族議員というありさまでは、この国の国内政治は停滞したまま、国際政治の海の中を漂流しつづけるだけだろう。
 だから、菅直人は、辞任などと口にすべきではなかったのだが、そこがたしかに、この政治家に能力のないところではある。今回の一連の騒動で、なぜ菅直人が辞任に追い込まれたのかといえば、実は、彼自身が辞任を口にしたということだけしかよりどころがない。
 私がおすすめしたいのは、亀井静香に間に入ってもらって、鳩山由紀夫小沢一郎かどちらか(もちろん両方でもいいが)との和解を取り付けることだ。それで、党内の反乱は大義を失う。
 一方で東京電力には強く出るべきだろう。原因究明の段階で幹部の責任を見過ごしてはならないし、原発を推進してきた自民党の責任も見逃してはならない。
 発送電分離自然エネルギーへのてこ入れは、前倒しで進める。これには利益を得る企業があるわけだから、そちら側からのマスコミへの働きかけも期待していいだろう。埋蔵電力の掘り起こしで、電力不足が解消される見通しがつけば、国民の支持も回復できるだろう。
 その上で、鳩山由紀夫小沢一郎か(両方でもいい)の同席した会見で辞任の時期を明確にする。いいかえれば、辞任を撤回する。雨降って地固まるという演出である。
 それが通らなければ、解散に持ち込めばいい。小泉純一郎がねじれ国会のもとで、同じことをやったんだから、自民党も反対できない。
 争点は、‘電力の自由化’を前面に打ち出す。勝機はある。