
- 作者: 原武史
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/06/15
- メディア: 文庫
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70年代とはいったい何だったんだろう?という疑問は、著者と同じようにその頃小学生だったわたしにとって、その字面が意味する以上の重みでひびいてくる。丸谷才一の「樹影譚」という小説の主人公は、まったく唐突に、意外な出自の秘密を知らされるが、わたしにとってこの本は、そうした‘樹影’のひとつかもしれない。
私個人の話をもうすこし続けると、わたしはそのころ‘転勤族’といわれていた家庭の子供かもしれない。4つの小学校を経験しているが、これはしかし、‘転勤族’というには少ないのかも知れない。しかし、この経験が、まわりと軋轢を生まない術をわたしに教えたし、同時に、まわりとは融け込めないという自意識も決定的にした。
この少年時代について、わたしはいささか引け目を感じてきたし、これからもそうあり続けると思うが、そうした経験のおかげで、はやくから価値観を相対化することを憶えていたし、ごく幼い頃から、社会がひとつでないことは自明のことだった。この本を読んで、ともかく、そのことだけは、わたしにとって幸福だったといえるかもしれないと思った。
‘滝山コミューン’は、原武史の造語で、その意味するところは本書にあたってもらいたいが、東京の郊外に陸の孤島のように出現したマンモス団地、そして、その入居者のほとんどが地縁をもたない同年代の夫婦で、同じ小学校に子供たちを通わせているという状況がまず不穏。
そこに、60年代の‘政治’の空気をまとった若い教師が赴任してくる。この教師をカリスマ化させてしまうのも、そうした‘空気’が、いわぱ‘前時代の残照’として、肯定されていたからである。‘コミューン’が形成される素地が熟成されていた。
わたしがまず衝撃を受けたのは、全国生活指導研究協議会(日教組の自主教研の中から生まれた民間教育団体)の文書から引用されている
という一文だった。
いままでも、日本はムラ社会だとか、日本人は集団主義だとかいうことに、様々に議論があったわけだが、そもそも「こどもたちを集団主義に教育する」と教師たちが文書に宣言している国で、そんな議論をする必要は全くなかったわけだ。
もちろん、すべての教師が日教組に支配されているわけではないが、たとえば、学級のほかに‘班’という集団を作ることも、おもにこの全国生活指導研究協議会が、集団教育のために推し進めたシステムだった。もし、小学生の頃、‘班’で課外学習の経験があるなら、あなたも‘個人主義、自由主義意識を集団主義的なものへ変換’されるべく教育を受けたということ。
全国生活指導研究協議会の『学級集団づくり入門』という本には次のような一節もある。
集団の名誉を傷つけ、利益を踏みにじるものとして、ある対象に爆発的に集団が怒りを感ずることがある。そういうとき、集団が自己の利益や名誉を守ろうとして対象に怒りをぶっつけ、相手の自己批判、自己変革を要求して対象に激しく迫ること −−−これをわたしたちは「追求」と呼んで、実践的には非常に重視しているのである。
最後の一文にあ然とした。そして、もしかしたら、これに平然としていられるひともいるのではないかという思いに慄然とした。
原武史は、現に、この「追求」を受け、逃げ出すという経験をしている。また、見知らぬ児童から石を投げられたこともあるそうだ。それでもういちどいっておくが、全国生活指導研究協議会はこれを‘実践的には非常に重視している’と書いているのだ。
吉田健一の『日本に就いて』が刊行されたと同じ、この1974年という年に、あのときは何か符合を感じたのだけれど、読み終わって改めて本の表紙をみると、これはジョージ・オーウェルの『1984』を示唆しているだろう。わたしたちの同時代の小学生時代の回想から、ジョージ・オーウェルの虚構が浮かび上がってくるグロテスクさは、もしこの著者がもっと扇情的に、声高な告発の態度でこれを書いていたら、これほどには感じなかったかも知れない。
この著者はそれとはまったく逆に、関係者へのインタビューや多数の資料を網羅して事実の再現に努めている。個人的な回想と事実に徹しているのに、わたしたちがここに普遍性を認めてしまうのは、同時代人としてこれに類する経験を共有しているからではないかと思う。自分にウソをついてもしょうがない。正直に言って、この本の中に、あなたの社会や、あなた自身の自画像を見ないかということ。