ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家

knockeye2013-01-26

 ある将校の戦場日記に、ベルトにリボルバーを下げ、パンツルックのゲルダ・タローが、大隊の男たちに巻き起こした熱狂を書き記しているそうだ。ベレー帽の下に「美しいストロベリーブロンドの優美な記者」。
 ロバート・キャパの『ちょっとピンぼけ』という本を読んだ人なら、きっとわたしと同じように、ピンク色の髪から‘ピンキー’と呼ばれていた主人公の恋人を思い出すだろうか。
 今回展示されているモノクロームの写真では、写真によって、明るく見えたり暗く見えたりして、彼女の髪の色はよくわからない。

 横浜美術館で「ロバート・キャパゲルダ・タロー 二人の写真家」展がきょうから開催されたところ。わたくし、ちょっとうだうだして午後からでかけたのだけれど、どういうわけかプレス発表も本日で(そういうのって開催前にやるのかと思ってた)、胸にリボンをつけた人とかいっぱいいて、ちょっと迷惑なような、華やかなような。ただ、フェルメールとかゴッホとかほど人が集まらないようなのがちょっと悔しい。
 今回の展覧会は、2007年にニューヨークで開かれた展覧会に、横浜美術館が所蔵しているロバート・キャパの作品193点(けっこう多い)を加えて展示している。後にロバート・キャパとなる、アンドレフリードマンの生まれが1913年なので、キャパの生誕100年と、ゲルダ・タローの方は、今では、‘メキシカン・スーツケース’と呼ばれる、2007年に新発見のロールフィルム126本を契機に、再評価と研究が進展したということで、そのニューヨークの展覧会が、実は、初の回顧展だそうだ。
 さっきから‘ロバート・キャパ’と書いているが、‘ロバート・キャパ’は、いま私たちが知っているロバート・キャパではなかったと、今回初めて知った。
 ともにユダヤ人で、逃れてきたパリで知り合った、アンドレフリードマンゲルダ・ポホリレは、自分たちの写真を売り込むために‘ロバート・キャパ’という、架空のアメリカ人カメラマンを創作した。だから、そのころは、ゲルダ・タローも‘ロバート・キャパ’だった。つまり、漫画家でいうところの藤子不二雄
 ゲルダ・タローというハンドルネームも、のちに別々に活動するようになったときの同じような戦略。ちなみにこの‘Taro’は、私たちの知っているあの‘Taro’、当時パリにいて、ゲルダと親交のあった岡本太郎から拝借したともいわれているそう。いずれにせよ、一度聞いたら忘れない印象的な名前で、センスのよさを感じさせるし、なによりも報道写真に賭ける意気込みを思わないわけにはいかない。気合いがなかったら名乗れないですもん「今日からあたし‘Taro’だから」って。
 ゲルダ・タローの伝記を書いたイルマ・シャーバーが図録に寄せた文章には

タローにとってカメラは、当時のフォト・ジャーナリズム業界で隠語のように通用していた「兵器」以上のものだった。カメラは移民に自己発見や自己実現の機会を提供してくれた。それはたとえば、タローが現代の工業化した戦争による破壊の性質を強調し、いかに難民が「つくられるか」を明らかにするときにあてはまる。カメラを通じて、タローは自分を、故郷を失い逃げ場を求める無力な者から主体的な目撃者へ、そして批判力のある写真家へと変えたのだ。

 実際、彼女の家族もナチスの侵攻を逃れることができなかったし、彼女自身も、戦況が悪化するスペインの戦線で27歳の若さで、戦車にぶつけられて命を落としている。
 先のイルマ・シャーバーの文章によると、戦場カメラマンには、‘カメラが楯になって守ってくれる’と思える瞬間があるそうだが、そういった高揚感の中にいる時、人は最も死に近づいているのかも知れない。
 ロバート・キャパの、おそらく最も有名な写真、いわゆる「崩れ落ちる兵士」については、何の根拠もないにもかかわらず、なんとなく演出ではないかと思ってきた。もし、撃たれたと思った瞬間にシャッターを押しても間に合わないと思うからだが。今回の展示には、その同じ兵士を別のアングルからとらえたゲルダ・タローの写真があって、それを見ているうちに、あの写真は演出ではなかったと、これまた、何の根拠もなく確信した。というのは、それ以外にも、同じ被写体を撮影した二人の写真がけっこうある。あの写真もそれと同じように、ゲルダ・タローが写した兵士をキャパが撮ろうとする。そのタイムラグに弾が飛んでくることが、戦場のリアリティーとして納得できてしまったのだ。
 周知のように、ゲルダ・タローだけでなく、ロバート・キャパインドシナの戦場で地雷を踏んで死ぬ。また、彼らの仲間だったデヴィッド・シーモアも戦場で命を落とした。彼ら草創期の戦場カメラマンは、まさに兵士と同じ地平から、戦争を伝えようとしたのだった。

 ゲルダ・タローが撮影した、遺体安置所に横たわる空爆の犠牲者の写真には、思わず胸が詰まった。焼けただれた手が裸足のこどもの上に置かれている。

 しかし、それよりももっと胸に痛いのは、漢口の空爆の犠牲者の写真。それを行ったのはまぎれもなく日本人なのだ。
 キャパが終焉の地となったインドシナに赴く前に、つかのま日本に立ちよった写真に、すこし救われた。招待した新聞社の思惑をよそに、キャパは子供たちの写真ばかり撮っていたそうだが、その方がかえってよかった。尼ヶ崎の路地で自転車をこいでいる女の子の写真には思わず笑った。年代からして、もしかしたらダウンタウンの従姉妹‘かもしれへんなぁ’とか。
 第二次大戦終結後に、対独協力者のフランスの女性が、ドイツ兵との間に生まれた子供をかばうようにしながら、丸坊主にされて引き回されている写真も、キャパは撮っている。この写真を撮った時、キャパはどこに立っているだろうとふと思った。キャパの足は何を踏んでいるだろうと。
 常設展示には名取洋之助やアンリ・カルティエブレッソンの写真も展示されているので併せてお見逃しのなきように。
 思った以上に熱のある展覧会で、ちょっと予定をやり過ごしてしまった。