キム・ヨナのこと

knockeye2013-03-20

 昔、村上ポンタ秀一がテレビでしゃべってたけれど、ドラムを始めた最初の頃(たしか一年くらいと言っていたと記憶する)、ドラムセットどころかスティックにすら一切ふれなかったそう。で、なにをしていたかというと、朝から晩までずっと‘ドラムを歌ってた’と言っていた。今の言葉でいうと‘ボイパ’になるのか、でも、鼻歌の方が近いと思う。
「口で歌えないヤツがたたけるわけないじゃん」
と言っていた。これが妙に説得力があって、いまだに憶えている。
 自分の経験から、近いものを探してみると、バイクのツーリングなんかで、長時間連続して乗っていて、カラダというよりむしろアタマが疲れてくると、‘ラインを失う’と、自分では呼んでいる状態になる。クルマに乗っている人も経験するだろうか、ブレーキ、バンク、アクセル、体重移動、などなど、とにかく、コーナリングのイメージができなくなってしまって、自分でもアレっと思うくらいのろのろ運転になってしまう。頭の中にコーナリングのイメージがなければ、コーナーは曲がれない。考えてみれば、当たり前だけれど。
 それで、なぜ、これをいままた思い出したのかというと、キム・ヨナの圧勝。2シーズンのブランクがあってもキム・ヨナは完璧。その間、ずっとトレーニングしていても浅田真央はミスる。これはひとつひとつの技術の差であるよりも、イメージングの差だろうと思う。キム・ヨナはまったくすべっていなくても、自分のスケーティングが頭の中に入っている。浅田真央は自分のスケーティングを見失っているのではないか。目を閉じて自分のスケーティングを完璧にトレースできるか、村上ポンタ秀一の言葉を借りれば、自分のスケーティングを‘歌えるか’、それができなければ、そりゃ滑られるわけない。
 練習をしてなにかができるようになること。そしたら、こんどはそれをアタマの引き出しにしまって、いつでも取り出せるようにすること。これは口で言うほど簡単なことではないだろう。それができているキム・ヨナというアスリートは非常に高いレベルのアスリートだといえると思う。
 アスリートの高いレベルのパフォーマンスは同時代人として喜びだが、これに対して、ネトウヨ連中がしつこく繰り返しているキム・ヨナに対する誹謗中傷は同国人としてまったく恥ずかしい。
 先週の週刊文春に、岩井志麻子
キム・ヨナさんは東日本大震災の後の世界選手権で、各国の選手が日本のために黙祷するセレモニーをボイコットしたとか。」
と書いているが、そういう物議を醸すおそれのある話を、「・・・とか」って、ただの伝聞でよくも公表する気になる。しかも、一応「さん」づけなのがいじましい。「東日本大震災の黙祷拒否 キム・ヨナの勘違い」というタイトルだけ見て、まだ記事の中身を読んでいない段階でわたしが思ったのは、「そりゃそうだろうな」ということだった。ネトウヨの書いているしつこい誹謗中傷が多少なりとも彼女の耳に入っていないはずがない。もし自分の身に置き換えて考えてみたらどうでしょうね。黙祷のセレモニーなどという官僚的な欺瞞には、付き合う気がしなくても当然だろう、むしろ、そのくらいの方が人間的に共感できる。これで東日本大震災の犠牲者のみなさんに哀悼の意を捧げられたりした日には、ちょっと人間ができすぎている。そもそもネトウヨ連中にしたところが、東日本大震災の被災者になにかしただろうか。なにか言う資格ある?
 岩井志麻子の記事の中身を読んでみると、彼女の韓国人の夫が「あんなかわいげのない女はいない」と言っているというのが話の大筋なのだった。アイドルみたいに勘違いしていて韓国人にも嫌われているみたいなこと。でも、オリンピックの金メダリストは、アイドルよりむしろ尊敬されてしかるべきろう。全文を読んで感じるのは、たんに岩井志麻子の旦那さんが、男尊女卑の観念に囚われているというだけのことにみえる。
 ただまあこれだけの記事でも、ネトウヨのおかずには大変なごちそうのはずで、たぶんこれで半年は、しがんでしがんで放さないだろうと思うと、それだけでうんざりする。