アベノミクスの賃金アップ政策

knockeye2013-03-22

 安倍首相が労働者の賃金を上げようとしていることについて、いろいろな人がいろいろなことを言っていて、ちょっと面白いので紹介したい。
 まず、週刊SPA!の福田和也と藤原敬之の対談から。

藤原・・・せっかくだから今のアベノミクスについて話すと、僕は非常に正しいと思う点があるんです。それは賃上げをさせようとしていること。
福田 なんか、安倍さんが自分で経団連とか回って、賃上げを直接要請してたね。
藤原 この十数年、日本の企業はずっと人件費を削ってきたでしょ。というのは、'90年代に日本でバブルが崩壊したときに、「日本型経営はダメだ」「アメリカ流のコーポレートファイナンスが大事だ」という流れができたわけ。これは僕らファンドマネージャーも反省すべきことなんだけど、企業に対して常に「ROE(株主資本利益率)を上げてください」と言い続けてきたんです。もっと利益率を上げないと我々は投資できません、と。
福田 ふむ。
藤原 でも、JPモルガン証券の北野一さんが書いた『デフレの真犯人』という本をこのあいだ読んで、なるほどと思ったのは「利益」も実は「コスト」なんだと。株主資本を集めるためのコストなんですよ。我々が一生懸命「利益を出せ」「ROEを上げろ」と言い続けたせいで、働く人の給料は削られ、下請けはいじめられ、設備投資は減り、コントラクション(縮小)のサイクルが生まれてしまった。これがデフレの原因だというわけです。だから今、アベノミクスの一環として人件費を増やした企業は法人税を減税しますよ、という案を出しているのは、まさにドンピシャの政策なんですよ。結局、経済は人間のためのものなんだからね。
福田 問題は、財務省がそれをどう取ってるかだよね。
藤原 財務省もこの合成の誤謬についてはわかってますよ。だから、僕らファンドマネージャーは、これまで「ボトムライン(最終利益)を伸ばしてくれ」と言い続けてきたんだけど、これからは「トップライン(売上高)を伸ばしてくれ」と変えていかなきゃいけない。いまだにROE経営の呪縛から逃れられていないから簡単にはいかないと思うけど。
福田 投資家に説明しづらいでしょう。
藤原 そう。でも北野さんの本によると、'80年代の実現ROEが平均8.7%だったのが、'90年代以降は3.1%だと。利益利益と騒いだせいで、逆に利益率が下がっちゃったわけ。トップラインが伸びなくてずっとデフレだったら、そうなるよね。そこに我々は気づかなきゃいけない。経済学者は専門分野の数字しか見ないから、気づかないんです。

 この話の面白いところは、‘利益がじつはコストなんだ’というところ。ひらたく言うと‘お金は使うためにあるものよ’ということ(え、違うの?)かな。でも、資本家からカネを集めるために、利益というコストをペイしているのであって、資本家にカネを配るために利益を上げるつもりはないという意識は、そういわれてみれば、企業家のマインドとしてしごく当然だ。だって、じゃなきゃ、何のために会社なんて経営しているの?そう考えると、本田宗一郎盛田昭夫といった創業者なら、いわずもがなであったろう、そうした企業人としての意識を、後継のサラリーマン経営者たちが持っていないということが根っこの問題だというふうにも思えてくる。
 ‘財務省がこの誤謬にきづいている’というのは、希望的観測にすぎないように聞こえるし、‘利益利益と騒いだせいで’利益率が下がったのかどうかも根拠が曖昧に思える。政官財の癒着構造の中で放漫経営をしていれば、騒ごうが騒ぐまいが、利益率は落ちていくように思う。
 上記の対談のなかでは‘我々が一生懸命「利益を出せ」「ROEを上げろ」と言い続けたせいで、働く人の給料は削られ、’とあるけれど、週刊エコノミストの黒田祥子の文章によると、そもそも賃金がたやすく下がること自体が、日本の労働市場に特有な事態だと書いている。ユーロ圏では、リーマンショック後の調査でも、賃下げをした企業は2%程度だったそう。
 日本では、労働組合は職種別に横の連帯がなく会社ごとだから賃金が下げやすいし、給料が一旦下がっても、景気が良くなればボーナスという不思議な習慣があるし、それに給料は年功序列なんで正社員をやめちゃうと再就職では給料が下がるし、そもそも退職って世間体が悪いし、で、賃下げを受け入れちゃう。
 でも、欧米では「名目賃金の下方硬直性」というむずかしいことを言っているが、ひらたく言うと‘給料が下がるのは絶対ヤだ’ということで、欧米では、給料下げるよりひとをクビにして人件費を削減する。だから、欧米の失業率は高い。日本人だって給料が下がるのはヤなんだけど、日本ではうえのような理由で、その「名目賃金の下方硬直性」があんまり硬くないかわりに、「労働市場の硬直性」がカチンカチンに硬い。だから失業率が高くない代わりに、デフレから抜け出せない。
 ということは、安倍首相の賃上げ要請は、労働市場流動性、つまり、解雇をしやすくすることと表裏一体といえる。もちろん、ただ解雇ご自由にでは困るので、解雇ルールを明確にする必要がある。デフレから脱却するために雇用文化の変革が求められている。しかし、これは特に耳新しい話ではないはずだ。その他の多くの問題と同じくとっくに分かっていたのに先延ばしにしてきただけのことだ。
 大前研一は、自身のブログに「新しい産業を起こすためには、規制撤廃と失業の山が前提」と書いている。

 たしかに、中小企業金融円滑化法なんていうペテンがまかり通って、利益を上げない企業がいつまでも生き残り、その企業に勤める正社員が安い給料に我慢し続けているかぎり、デフレの脱却などあるはずはないと思える。
 こうしてみると、先に藤原敬之が言っていたこととは裏腹に、給料が下がるのは、日本的経営(日本的雇用慣習)の結果ともいえる。
 週刊エコノミストの書評欄で小熊英二が、井出英策『日本財政 転換の指針』を取り上げて、それでは、日本社会は、どのようなプロセスを経て、いまのような雇用慣習についての合意を形成してきたかということに注意を喚起している。
 高度成長期の日本では、中間所得層の減税を繰り返した。減税は貯蓄を殖やし、預金は銀行から資本へ向かい、郵便貯金財政投融資として官僚の手を介して公共事業にばらまかれた。右肩あがりの成長は、減税による税収低下を補った。これは、今さら言うまでもない、高度経済成長のメカニズムで、野口悠紀雄が『1940年体制』で詳しく分析した政治のありようと矛盾しない。
 この書評欄で小熊英二が指摘しているのは、しかし、この高度成長期に日本社会に成立していた合意は、ずるずると成立し、なあなあに受け入れられていたにすぎないのではないかということだろう。
 高度成長に不可避的に伴う、都市と地方の経済格差を是正するために、社会保障ではなく、公共事業で雇用を確保する。自分たちの納めた税金がそのように使われる都会のサラリーマンには様々な控除がある。一歩引いて眺めてみると、場当たり的で、官僚的である。‘いま高度成長でもうかってるんだから、まあまあみなさん・・・’ということでしかない。自分たちの生きる社会はどのような社会であるべきなのかという選択の意思をともなっていない。言い換えれば、社会に対して個人が責任を負っていない。
 この書評欄ではまた、神野直彦『税金 常識のウソ』という本を取り上げて、

財政と税制は国民の社会契約、つまり「国家コンセプト」の反映である

と書いている。

 つまりアメリカは「自己責任で生きてもらうが、秩序維持の租税は金持ちが負担する」というコンセプト、スウェーデンは「貧しい国民にも租税を負担してもらうが、生活保障は提供する」というコンセプトの国なのだ。そのコンセプトに基づいた国民の合意(社会契約)のもとに、財政と税制の形態があるわけである。
 ところが日本の税制は、(略)つぎはぎ的改正でコンセプト不明になっている。

 以前、町山智浩が「アメリカン・ドリームはスウェーデン・モデルに敗北した」とコラムに書いたとき、おそらくそれは違うと思った。Occupy the Wall st.のデモが盛況だったころだ。
 オバマ国民皆保険の制度を創設しようとして、根強い抵抗を受けたことは記憶に新しい。また銃規制についても、銃の乱射事件で重傷を負ったガブリエル・ギフォーズ米元下院議員でさえ、銃による自己防衛の権利を決して否定しないと公聴会で証言する、アメリカ国民の自由に対する意志の強さは、アメリカという社会で生きることを選びとった個人の責任意識の強さでもあると、肯定できると思う。
 一方で、いまの日本の税制を見ると、それが「国民の社会契約」という意識などどこにもないと思う。だから、システムがうまく機能しなくなると、小泉が悪い、竹中が悪い、鳩山が悪い、菅が悪い、悪くないのは、一度も閣僚経験のない小沢一郎で、小沢一郎がトップだったらなぁと夢想する羽目になる(原発事故の時に自宅に閉じこもってミネラルウォーターで洗濯していた男なのに)。だれかを責めて、だれかを頼ろうとする。ビートたけしが総理大臣だったらなぁとか。
 東日本大震災のあとに、日本人の美徳について書いた。それは、‘日本人は優秀な民族だ’などというふざけた話ではなく、大津波がひっくり返してしまったパンドラの箱の底に、わたしたちがかろうじて見つけたのは日本人の美徳だったよということである。それが、あれだけの多大な犠牲を払って見つけたものなのであれば、わたしたちはそこに、わたしたちのあるべき社会についての合意の基本をおいてもよいのではないか。わたしたちは心の底では、そのような美徳に基礎を持つ社会に暮らすことを望んでいるはずではないかといいたい。
 最後に、アルファブロガーでもあるぐっちーさんがSPA!で指摘しているのは、アメリカでは上昇に転じた国債長期金利が日本では低下しているということ。アメリカではシェール革命などで景気回復が本格化しているが、日本の将来には資金需要が期待できないということらしい。アベノミクスの懸念材料として、最初から指摘されているが、成長戦略が弱い。そのためにも徹底した規制緩和が必要なのに、電力の自由化さえも族議員の抵抗で骨抜きだという報道があった。自民党がいまだに田中角栄の時代の政治姿勢から抜け出せず、構造改革の意思を持たないなら、アベノミクスもまた消費税増税とともに泡と消える?。消泡税というべきかな。