「記憶写真展」「日本の漆」

knockeye2013-03-18

 土曜日は一日濱マイクにあてるつもりだったのに、あいにくの体調不良で日曜にずれ込んだことは、昨日も書いたが、日曜は日曜で気になっている展覧会が最終日なので、午後は東急東横線で渋谷へ。
 ご存じのことと思うが、この週末から、東急東横線東京メトロ副都心線が相互乗り入れすることになり、横浜中華街から埼玉の森林公園という駅まで乗り換えなしでいけるようになったらしい。横浜は濱マイクだけでなく、そっちのほうでも盛り上がっている。
 しかし、今日は渋谷で山手線に乗り換えるので、あんまり実感はなかった。目黒美術館に「記憶写真展」という、目黒に住んでいた宮崎敏子という学校の先生が、1950年代から60年代に写した写真の展覧会を観にいった。目黒区めぐろ歴史資料館というところに寄贈された写真なのだそうだ。
 この学校の先生がこの写真を撮っているときは、この写真がやがて、レオナール・フジタベルナール・ビュフェの展覧会をやる美術館で展示されるとは思いもしていなかったはず。けっきょく、写真はカメラが撮るものなので、レンズの後ろにフィルムがあれば必ず何か写る。純然たる化学反応にすぎないものに、それ以上の何かを付与してまうのは、観る側の自己責任なのだ。
 50年代だからモノクロームの写真だが、もし、いまから50年後、これと同じような企画があったとしたらどうだろう。携帯で撮った写真、グーグルグラスでそのままクラウドにアップされた写真、あるいは動画、ある一日に目黒で撮られたというだけで、小宇宙をなすのではないか。それでもそういう写真展を観てみたい気がするとしたら、観る側のわたしたちが結局そこに何かを観たいからということになるだろう。
 すべての芸術はコミュニケーションツールかも知れないが、絵を一冊の長編小説だとすると、写真は半紙に書き付けた発句のようなもの、受け手側の参加が前提とされているかも。
 ところで、濱マイク大回顧展の開かれているあたりは大岡川周辺、そして、目黒美術館は目黒川のほとり。どちらもいわずとしれた桜の名所だが、驚いたことに、目黒川の桜はそろそろほころび始めていた。横浜の桜はまだ蕾もかたい。東京の桜がこんなに早くなったのはいつごろからだったか、なにかしら異常な感じがする。 
 渋谷から井の頭線駒場東大前へ。これもこの日が最終日の日本民藝館「日本の漆」。障子紙を透かして、もう色温度の落ちたアンバーな日の光に、重たい空気の底に沈んでいるような漆の色は、とはいえ、たしかにもう冬とはいえないなと思わせる色だった。
 帰り道、駒場野公園の桜が咲き誇って夕日を浴びていた。たぶんあれは啓翁桜じゃないかと思う。いくなんでも。