追記

 「ホーリー・モーターズ」を観て、なぜ松本人志と「東京オアシス」が心に浮かんだのか、あれからすこし考えてみたが、「ホーリー・モーターズ」のテーマを、統合された自我を解体しようとする試みだとわたしがとらえてみたのは、ひとりの人をひとつのストーリー、ひとつの価値観、ひとつのジェンダーに限定する人間観に限界が来ていて、多くの人はそれに疎外や抑圧を感じているという社会的背景があって、たとえば「クラウド アトラス」や「ザ・マスター」も広い意味ではそういう背景を共有しているともいえるが、しかし、この「ホーリー・モーターズ」の徹底的な自己破壊がうまく成功しているかどうかとなると、そうした自我の解体に挑戦する作り手の自意識が観客に透けて見えるとわたしには思えたからで、そう思えたとき「東京オアシス」が心に浮かぶのは、前の文章と重なるけれど、あの映画は何気ない日常を描いていながら、自己と他者の間合いを実にスリリングに描いていたなと思い至ったからだった。
 松本人志が思い浮かんだのは、笑いの破壊力がもっとあったらなと思ったから。常識に挑戦するのには、笑いくらい強い武器もない。「ホーリー・モーターズ」が、なぜもっとコメディやパロディーを志向しなかったかなと残念な気がしたからだった。