『ナボコフのロシア文学講義』上

knockeye2013-08-18

 『ナボコフロシア文学講義』上巻を読み終えたところ。上巻は、ゴーゴリツルゲーネフドストエフスキー
 最初に、ゴーゴリの『死せる魂』なのは、‘ツカミはOK’といった配慮だろう。『死せる魂』って、そんな面白い小説とは知らなかった。わたしの場合は、題名で敬遠しちゃってた。‘死せる魂’なんてどうにも辛気くさそうだし、日本の私小説みたいにやられたらたまらないというところだったか、『外套』は読んだと思うが、もちろん、といっていのか、ナボコフのように深くは読んでいない。
 このまえ紹介した,大野晋丸谷才一源氏物語にしてもそうだけれど、読書の達人を導師に本に向かってみるのもよい。これも前に書いたけれど、森鴎外の『渋江抽斎』を読み通すことができたのも、旺文社文庫の詳細な脚注があればこそだった。後に選集でも買ったけれど、そっちはほとんど註がなくて、これでは読めなかっただろうなと思った記憶がある。古くは、法然上人の善導大師の『観無量寿経疏』との出会いにまでさかのぼれる。
 それはともかく、上巻の‘フック’はなんといってもドストエフスキーだろう。オビにも「ナボコフドストエフスキーに怒る。」とあるし、若島正(『ロリータ』の名訳者)の解説にも「ナボコフの講義は劇薬でもあって、ドストエフスキーの愛読者にとっては、彼のドストエフスキー講義はまったく受け容れられないものに映るだろう。」と書いている。
 しかしながら、このドストエフスキー論がめちゃくちゃわくわくもので、『カラマーゾフの兄弟』とか、『悪霊』とか、もう一度読み返してみたくなる。
 たしかに、けちょんけちょんに、しかも冷静に、けなしていると言っていいのだけれど、それを読んでいると、若い頃、ドストエフスキーを初めて読んだときの感じがよみがえってくる。ナボコフ自身も、『罪と罰』を,10代の頃からすくなくとも4回は読んだと書いている。
 ナボコフという、1899年生まれで1977年に亡くなる、英語で小説を書いていた、亡命ロシア人の視点は、わたしたちにはすごく参考になると思って、まだ下巻にとりかかっているところで、今、トルストイだし、つぎにチェーホフが控えているので、ますます面白くなるにちがいないけれど、途中で、これについて書き留めておくことにした。
 「19世紀ロシアは奇妙なことには自由な国であった。」という、ナボコフの述懐の調子は、1912年に生まれ1977年に亡くなった、吉田健一が『東京の昔』で、消えてしまった昭和初年ごろの東京を嘆いている調子を思い出させる。たぶん、日本のふつうのひとが‘ロシア’といって思い浮かべるイメージと、ナボコフの知っているロシアのイメージとのへだたりは、世界のふつうの人たちが、戦前の日本ときいて思い浮かべるイメージと、吉田健一が知っているその頃の日本とのへだたりとよく似ていると思う。
 偏見を持っている人に「あなたは偏見を持っている」と納得させるのは、そもそもそのような説得に耳を傾けないことが「偏見を持っている」ということなのだから、絶望的に不可能である。ナボコフ吉田健一の慨嘆はその絶望を、動かしがたい所与の背景としている。
 ナボコフはこう書いている。

私が初めて『罪と罰』を読んだのは四十五年前、十二歳の頃だったろうか。これはすばらしく力強い、血湧き肉躍る本だというのが、私の読後感だった。再読したのは十九歳の年、ロシアでは恐ろしい内戦が戦われていた時代で、これは長たらしい、ひどく感傷的な悪文だ、と私は思った。

 ここに読者としての個人的な成長を読み取るだけでいいかどうかわからない。

 次のようなクロポトキンの意見にも、私は全面的に賛成である。「予審判事やスヴィドリガイロフのような人物、いわゆる悪の化身というものは、ロマン主義的な作り事にすぎない」。私としてはもう一歩進めて、ソーニャもこのリストに加えたいと思う。自分たちには何の落ち度もないのに、社会が定めた境界の外で生きることを余儀なくされ、そのような生き方に伴う恥辱や苦しみという重荷を同じ社会によって一身に背負わされている、といったロマン主義小説の女主人公たちの、ソーニャは直系の子孫である。

 ナボコフは、『罪と罰』の決定的な欠陥は、「殺人者ラスコーリニコフが少女ソーニャを通じて新約聖書を発見するという、贖罪の始まりの場面である。」として、

ソーニャは彼に、イエスのこと、ラザロ復活のことを読んで聞かせる。そこまではよろしい。だがそのあとに、全世界に知られた文学作品では他に例を見ないほど愚劣きわまる一つのセンテンスが現れる。「消えかけた蝋燭の炎はゆらめき、この貧しい部屋で永遠の書を読んでいる殺人者と淫売婦をぼんやり照らし出していた」。

 この文章がどこが間違っていて,どう粗雑で非芸術的なのかがその後に続くのだけれど、そこまで書き写してしまうと、さすがに営業妨害になりかねないし、じつのところ、最初のゴーゴリから読み進めて、ここに辿りつかないと、ちょっと真意がわかりにくいかもしれない。
 この本は、ナボコフ講義ノートが元なので、完成した原稿とちがって、推敲された跡も生々しく残されている。この『罪と罰』の講義ノートでは、ナボコフ自身の手で削られた部分として、ナチスに対する批判の一文が傍注に載せられている。
 興味のある方はぜひ本文にあたってほしい。
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 で、以下の部分は、ナボコフにもドストエフスキーにも何の責任もないことだが、わたしの頭の片隅で突然理解されてしまったのは、「慰安婦」の問題が、どういうわけでアメリカで‘ウケル’のかということへの一つの回答だった。
 戦前、戦中の日本で、朝鮮人に対する差別がひどかったことはとっくに知られている。関東大震災のときは、朝鮮人の暴動があるというデマがもとで、多くの朝鮮人が殺されている。ところが、そういう事実は、大して‘ウケない’。
 慰安婦問題については、謝罪のしかたが官僚的だったにせよ、謝罪もしているのだし、しかも、70年も前のことで、多くの日本人はそれについて、何も知らなかったのが現状だし、その後、世界の各地でくり返された残虐行為、また、今も進行中の人権侵害を差し置いて、どうしても,それに抗議しなければならないという彼らのパッションの源は、つまり、この問題が、18世紀ロマン主義の王道にぴったりとはまっているからなのだった。
 慰安婦のイメージは、彼らの中では、マグダラのマリアであり、聖アガタであり、「レミゼラブル」で「夢やぶれて」を歌うアン・ハサウェイなのだ。そこで、日本人に割り振られている役どころを考えると気絶しそうだ。「慰安婦」を上書きするこの圧倒的なイメージを前では、慰安婦の史実など、もし眼前に突きつけられても幻のようなものである。
 つまり、この問題を非難することは、非難する彼ら自身にとっての‘慰安’なのだ。安心して人を非難できる、これほどの快楽がまたとあろうか。いま、わたしたち日本人は、ユダヤ人という標的を奪われて以来、キリスト教徒がようやくありついた、安心して差別できるおいしい餌なのである。
 慰安婦の存在自体は誰も争っていない(ネトウヨは論外)。問題にしているのは、それをめぐるプロパガンダなのだが、プロパガンダに抗議することは,協力することと同義なので、もはや、この問題に対処する術もない。
 七十年前のそのころ、日本人が朝鮮人に対して行った差別行為の数々は、許されるものではない。しかし、当事者でもないわたしたちの世代が、それをプロパガンダに利用することは、それと同じ質の差別行為なのである。
 実際、慰安婦に抗議している人たちは、同時に、横尾忠則の絵にまで抗議している人たちなのだ。その本質が「未来の責任」などでないことは明らかである。