供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
- 作者: アントニオタブッキ,Antonio Tabucchi,須賀敦子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2000/08/01
- メディア: 新書
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須賀敦子の訳した、アントニオ・タブツキ『供述によるとペレイラは・・・・』を読んだ。
日曜日は昼から土屋鞄の鎌倉店に行って、iPad miniのケースを作ってもらおうと思ったのだけれど、オーダーメイドはしてませんってことだった。
いわれてみりゃ、なるほどそうかってことだった。なんかランドセルを小さく作り替えるみたいなことをしているから、オーダーメイドもしているのかと思い込んでいたけど、オーダーメイドはオーダーメイドの店を探さなきゃいけない。
ネットで、iCircleとかいうよさげなケースを買って使っていたのだけれど、一ヶ月もしないで壊れた。ネットの買い物はそんなものっていう諦めは、なんか受け入れてしまっている自分がいて、ときどきねぼけまなこで衝動買いしたりする服なんかは、大げさではなく、半分くらいは着られたもんじゃなかったりする。
エドウィンとかLevi’sとか、ネット以前からつきあいが古いメーカーは、サイズもわかりやすいけれど、服はやっぱり着てみないと失敗が多い。
それで思い出したけれど、鎌倉の帰りに無印良品でシャツとカーディガンを買った。
わたしは、身長175センチくらい。調子のいいときで177センチくらい。で、ややこしいのは、服のサイズでいうとMとLのはざまみたいな体型で、迷うことが多い。
それで試着させてもらおうとしたのだけれど、そこの店員さんが、妙に抵抗する感じで、そのとき言ったのが「MもLもあんまり変わらないですけどね」って、服屋の店員がいう言葉とも思えなくて、おかしかった。
たしかに、MでもLでも着れるのはわかってるんだけど、シャツなんかは、タイトに着たいか、ルーズに着たいか、裾をパンツに入れるか入れないか、はおってアウター風に着るのか、ボタンを留めてインナーに着るのかで全然違うわけ。で、その差がMとLと、もっといえば、LLの違いだったりしてくるんです。
でも、これ、ここで書いている分には、まっとうな言い分なんだけど、店頭でここまで口にすると、けっこううるさい客だよね。それで、困って笑ってたら試着させてくれたんだけど、そのときのシャツはMで正解でした。ちなみにそのとき着ていたスキッパーカラーのシャツはXLなんです。その店員さんは、今着てるシャツと一緒でいいでしょみたいなことを、いいたげだったけど、そういうもんじゃないのよ、そりゃ。
服屋の店員さんであそこまでおおざっぱな感じのひともめずらしくて、逆に好感を持ってしまった。
サイズの問題は、とくにネット通販では、開拓すべき課題のひとつで、クロップドパンツが増えてきているのは、そのせいなんじゃないかなとか、あれは裾上げの必要がないから、深読みしたりしている。
『供述によるとペレイラは・・・・』は、「供述」というスタイルなのが、つまり、「手記」とか、「告白」とか、「日記」とか、「弁明」とか、「聞き書き」とかではなく、「供述」であることが、くさみを消している。
「・・・のだが、これについては言いたくない、といっている」
みたいなところがけっこうでてくる。
だいたい、この供述は、どういう状況の供述なのかといえば、小説のテクニックとしての供述なんだろう。
1938年のポルトガルを舞台に1990年代にアントニオ・タブツキが書いた小説だけれど、時代の閉塞感、個人の無力感が、結局、今という時代と共通している。
閉塞した時代を、無力な個人が語るとなったとき、この「供述」って言うスタイルが、つまり、語りたいわけではなく、語っても仕方ないけれど、敢えて語らざるえないなら、というこのスタイルでないと、この内容は語られなかった。
ちなみに、ニューヨークタイムズが「特定秘密保護法は反自由主義的で下品な法」と批判したそうだが、こういう発信力のある媒体は日本にはひとつもない。
わたしたちも将来、日本を捨てて逃げ出さなければならない、という選択肢も考慮に入れておくべきかもしれない。
p.s.
一晩寝たあとで気がついたけど、やっぱり、これが「供述」であるかぎり、ハッピーエンドじゃない。気が滅入る。