『コルシア書店の仲間たち』

knockeye2012-06-22

 須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』を読んだ。
 これだけの材料があれば、たとえば、北杜夫の『楡家の人々』のような大きな構成の小説を書くことも可能なはずだが、須賀敦子はおそらく、意図してこのスタイルを選んだ。
 うっかり‘材料’といってしまったけれど、まさに、そのような料理の‘材料’となることを、この仲間たちはきっと拒絶するはず。そして、なにより須賀敦子自身が、その仲間たちのひとりなのだし、やすやすと世の読書子たちの食欲を満たすことは、はじめから念頭にないだろう。
 ダヴィデ、カミッロ、ガッティ、ルチア、そして、ペッピーノ、魅力的な書店の中心メンバーたちに加えて、書店に出入りする常連客、運営や運動に関わる不思議な人たち、だが、それでも、いちばん不思議なのは、パリ、ローマ、ロンドンを経由して、自らこの書店の運動に飛び込んできた須賀敦子という日本女性ではなかったかと思う。コルシア書店の仲間たちは、なぜ彼女がここにいるのかと、ふと不思議に思うことはなかったのだろうか。
 おそらくなかった。 

 十一年にわたるミラノ暮らしで、私にとっていちばんよかったのは、この「私など存在しないみたいに」という中に、ずっとほうりこまれていたことかもしれない。
(略)
私を客扱いにして、日本人用の話をする人たちの中にいなかったことは、私のためにさいわいだった。

 と、須賀敦子は書いている。
 戦時のレジスタンス運動からはじまる、この書店に携わっていた人たちの意識は、今考えるよりはるかに理想を志向していただろう。
 書店の創始者のひとり、詩人でもあるダヴィデ・マリア・トゥロルド神父にフォーカスを絞れば、この書店の栄枯盛衰は、反ファシストパルチザンのその後の物語ととることもできる。そうとってしまえば、それは‘小説’になったはずのことだった。しかし、そうではない。それがつまるところ理想ということなのだし、そうした‘その後’をはらみながらも、結局‘今’を生きつづけている。今を生きながら、理想を抱き続けているからこそ、この人たちが魅力的なのだ。
 「ダヴィデに − あとがきにかえて」から少し引用。

 コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、ともするとそれを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、あれこれと理想を思い描いた。そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼおなじだったと思う。それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。その相違が、人間のだれもが、究極においては生きなければならない孤独と隣あわせで、人それぞれ自分自身の孤独を確立しないかぎり、人生は始まらないということを、すくなくとも私は、ながいこと理解できないでいた。
 若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。