夏目漱石が、田んぼの脇を正岡子規と歩いていて、「米が田んぼからとれるのが今わかった」と言って、正岡子規を驚かせたことがある。「江戸っ子は米が稲からとれるのも知らない」。
漱石はのちにこのときのことについて、「あれはそういう事実関係についていったんじゃない」と苦笑していたそうだ。
「わかる」っていう言葉を、こういう風に使うのは、わたしには「わかる」し、それはごく自然なことだと考えてきたのだけれど、世の中には、案外、これが「わからない」人もいるかもしれないと、最近思い始めている。
関東地方はこのところ好天続きで、伊勢原市のサイトによると、大山寺の紅葉が見頃を迎え、しかも、ライトアップも始まるそうなので、今日はでかけてみようかなと思っていたわけだった。
で、カメラを充電しようとして、バッテリーケースを開けると、バッテリーがない。バッテリー切れじゃなく、バッテリーそのものがない。どうやら引っ越しのときに、わけがわからなくなったらしい。最近、いかに写真を撮っていないかと愕然とした。
それが、昨日の夜のこと。そのあと、あちこちひっかき回したがみつからず、意気阻喪していたのだけれど、そのかわり見つけたのが、読みかけていた本、『謎の独立国家 ソマリランド』。

- 作者: 高野秀行
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アフリカの角と呼ばれるソマリアが、絶望的な戦乱状態にあると聞かされたのは、インターネットとか携帯電話とかが話題になる前だったと思う。多くの人にとってもそうだろうけれど、わたしにとっても忘れ去るのに充分な時間だ。
ところが、彼の地では、この間にびっくりするような事態が展開していたのである。
著者の高野秀行は、応仁の乱や源平記にたとえてわかりやすく(わかりやすいのか?これは)書いているが、まったくパラレルワールドの話を聞くようだ。
国際社会に見捨てられた状況で、こんな突然変異的に進歩的な民主主義政府が出現したのは、「ここが旧イギリス領だからじゃないのか?」といった偏見で読み始めたが、全く違った。もっとも、イギリスが統治に不熱心であったことは幸いしたようだ。
取材時期が、日本の政権交代から原発事故に重なっているので、それについて著者が声高には語っていないものの、日本の政治をめぐるぐたぐたぶりにはかなり深いところで失望を感じざるえない。
ナボコフは、小説は頭ではなく背筋で読むものだといったけれど、それは小説ではない本に関してもあてはまるだろうと思う。
ヘイトスピーチなんかについて書いた後で、こういう本を読むと、ほとほとこの国のムラ社会ぶりにあきれる。