「鑑定士と顔のない依頼人」

knockeye2013-12-17

 先日もちらっと書いたけれど、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の新作「鑑定士と顔のない依頼人」をららぽーと横浜で観た。なにしろ、日比谷シャンテは連日の全席完売なんだけれど、ららぽーと横浜は落ち着いて座れたのに、あれはどうしたわけなのか。わたくし思うけれど、やっぱり東京は一極集中が進みすぎていると思う。たとえば、こないだ横浜で下村観山を観たとき、チラシで柳家小三治の高座があるのを知って、だめもとで電話してみたのだけれど、もちろん完売だった。これは横浜の話なので、矛盾するみたいだけれど、映画と落語は話はまた別なのは、小三治はひとりしかいないんだから。
 今度、お正月に笑福亭仁鶴の噺を聴きにいくつもりだけれど、こちらはチケットがとれる。この差は何かと考えると、東京に人口が集中しているせいだとしか思えない。
 それはともかく、「鑑定士と顔のない依頼人」、ジュゼッペ・トルナトーレは今でも‘「ニューシネマパラダイス」の’ていう紹介をされるようで、ニューズウィークのレビューもそうなっていた。あの映画がそれだけ印象深いということだけれど、本人としてはどうなのか微妙なのかもしれない。「題名のない子守歌」という、この監督の前々作を観たけれど、「えー」という感じだったのは、たしかに‘「ニューシネマパラダイス」の’ていう先入観があるから、落差が激しくなる、つうこともあっただろう。
 その意味では、今回のはジュゼッペ・トルナトーレらしい、ていう、これまた本人にとってはうれしいかどうか知らないけれど、しかしその人らしいというのが褒め言葉になるんだから、やはり大きな存在である宿命だろう。
 主役が「英国王のスピーチ」のジェフリー・ラッシュであるのも相乗効果をあたえたかもしれない。ニューズウィークのインタビューによると、最初はふたりほど主役の役者を想定しながら書いていたそうなのだけれど、途中からジェフリー・ラッシュであて書きしたそうだ。
 ジュゼッペ・トルナトーレの映画としては、「ニューシネマパラダイス」より「海の上のピアニスト」に近い世界観かと思う。
 それに、美しい依頼人クレアのシルビア・ホークスのキャスティングも成功のポイントだったと思う。ジュゼッペ・トルナトーレ
「美しいが、美しすぎない、いわば『不確かな美』。優しいが頑固で厳しい面もある。」
と評している。入浴シーンではちょっとバルテュスの少女を思わせた。
 「どんな贋作にもわずかな真実がある」。しかし、真実なんてわずかである方がいいのかもしれない。わたしたちの一生そのものが大昔に書かれた書物の、改訂版みたいなものにすぎないのだから、そこにちょっとした真実が紛れ込んでいたとすれば、奇跡みたいなことかもしれない。
 原題は「The Best Offer」で、このままの方がしっくりきたんじゃないかと、文春のレビューで誰かが書いていた。