- 出版社/メーカー: マクザム
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8月は、原爆と終戦の月だから、戦争関連の映画が増えてくる。この3つの映画館のラインナップを見ると、ジャック&ベティで「野火」、「ルック・オブ・サイレンス」、「ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実」、「戦場ぬ止み」、「ひとりひとりの戦場 最後の零戦パイロット」。
横浜ニューテアトルで「蟻の兵隊」、「天皇と軍隊」。
横浜シネマリンでは「この国の空」の上映に合わせて、この映画を監督した荒井晴彦が選ぶ戦争映画三選として「執炎」、「春婦傳」、「赤線基地」の三作品が上映されている。
土曜日はめずらしく出勤したので、貴重な日曜日をどうすごすか考えて、結局、「蟻の兵隊」を観に行くことにした。この映画はほんとうはもう10年前の映画で、リバイバル上映なのだそうだ。
監督した池谷薫てふ人には、「延安の娘」、「先祖になる」、「ルンタ」などの作品がある。
この映画で初めて知ったが、第二次大戦の終了後、中国の山西省にいた日本軍の一部が国民党軍の支援部隊として残留して、共産党軍との内戦を戦った。兵力はおよそ2600人、戦闘は3年以上にもおよび、戦死者は550人を越えた。
ポツダム宣言を受諾して、武装解除していなければならない日本軍の行動としては全く異常である。当時現地の司令長官であった澄田らい四郎というのが、現地の実力者であった閻錫山と密約を結び、配下の兵の一部を閻錫山の軍に編入した。もちろん、兵は澄田の私物ではないので、このような行為が正当化される根拠はない。当時、兵の帰還事業を統括していた宮崎舜一という人が、阻止しようとしなければ、もっと多くの兵が残されただろう。「お前は閻錫山が殺せと言えば天皇陛下でも殺すのか」とまで詰問したらしいが、澄田は、一部の兵を隠すまでして、この背信行為を遂行した。しかも澄田自身は、兵を残してとっとと帰国している。
この映画の主人公の奥村和一は、残された兵のひとり。中国への旅の前に、寝たきりになっている宮崎舜一に報告にゆく、そのシーンは、このドキュメンタリーのもっとも重要なシーンのひとつだろう。ドキュメンタリーに真実が映るとすれば、予測もできない姿で映るのだろう。ひとの心は不思議なことをする。
事実上、上官に「売られた」兵士たちも、戦場にあっては、加害者であることを免れない。奥村和一は、初年兵のころに、初めて人を殺した寧武を訪ね、その頃のことを憶えている人たちを探そうとする。
日本軍は、中国の民間人を初年兵に刺し殺させて、戦場の殺人に慣れさせていた。これに関しては過去にも複数の証言を聞いている。初年兵が殺し損ねてまだ息のある人を、教官役の兵士が首を掻いて殺していた。今のISISと何も変わらない。「I am KENJI」が聞いて呆れる、「WE were IS」が事実なのだった。
しかし、当時寧武にいた人の息子という人から、当時の話を聞いて、奥村和一の表情がこわばる。初年兵の自分が殺した人が、ただの民間人ではなく、逃亡兵だったかもしれない可能性があるということがわかったからだった。
そのニュアンスの微妙さは、他人が容易に判断できることではない。自分の罪に向き合おうとして、老齢をおして過去の戦場に出向いたのに、罪悪感をわずかなりとも減免してくれるような情報に触れると、人はそれにすがってしまう。その罪の重さが痛々しかった。
このブログは、映画と美術展の感想を書くブログみたいなことになってると思う。なので、敢えて、奇妙なことを言わせてもらう。奥村和一の顔はどこかで見たことがある気がしていたが、舟越桂の木彫に似ている。特に、あのまなざしは、舟越桂のいう、内面を見つめるまなざしに似ている。