安保法案をめぐる松本人志、笑福亭鶴瓶、堀江貴文、西村博之

knockeye2015-08-10

 安全保障関連法案をめぐって、松本人志笑福亭鶴瓶が番組で何か言ったという記事がほぼ同時期にあった。
 どちらもハフィントンポストの記事から引用すると、
 笑福亭鶴瓶の意見は、中国残留孤児をめぐるドキュメンタリーのなかで発せられたもので、「戦争放棄というのは(憲法の)うたい文句。憲法9条はいごいたら(動かしたら)あかんと思うんです」「だいぶアメリカに乗せられて、後方支援、後方支援と言っているけれど、せんでええねん。なんもせんでええ。したらあかん。したら、したという事実が残りますよ。絶対ダメなんです」と述べ、「今の政府があういう方向に行ってしまうのを、止めなくてはダメ」

 松本人志の方は、「いま、安倍さんがやろうとしていることに対して『反対だ』って言うのって、意見じゃないじゃないですか。単純に人の言ったことに反対しているだけであって、対案が全然見えてこない。じゃあ、どうするのっていうのが。このままでいいわけないんですよ。もし本当にこのままでいいと思っているのであれば、完全に平和ボケですよね。世界情勢は確実に変わっているわけやから。何か変えないといけない。なんかいまいち、だれもそれを言ってくれない」

 私自身の考えは松本人志に近いが、考えてみれば、私は年齢も松本人志に近い。そう思うと、この意見の違いは、世代の違いだとも言える。この二人は大げさでなく、戦後70年の大衆史の、ある時代を代表する存在だから、その視点を捉えておくことは重要だなぁと思ったわけだった。

 笑福亭鶴瓶は63歳。松本人志は51歳。その世代の違いで、六十年安保、七十年安保をどう評価したかで、今のデモをどう評価するかは変わってくるんだろう。私は控えめに言っても、冷ややかな目でそれを見ている。「単純に人の言ったことに反対しているだけであって、対案が全然見えてこない。」という松本人志の批判は、そのまま6、70年代の学生運動に対する批判に置き換えられる。
 おそらく、松本人志の世代は、その頃の学生運動のことを幼心に憶えているくらいのことだと思うが、しかし、その運動のその後たどった顛末については、はっきりと跡付けられるはずなのだ。
 つまり、細川政権、村山政権、そして、最近の民主党政権が、6,70年代の学生運動の結末だとしたら、これほど人をバカにしたオチもない。で、今「戦争法案反対」って盛り上がってる連中があの時のあいつらとどう違うの?ってったら、ほぼ完コピな訳です。菅直人とか、村山富市が今のデモに参加して、なんか叫んでるんだけど、60、70年安保のその後を見てきた世代にとっては、おまえら、どのツラ下げてものが言えるんだ?って思いな訳です。

 とか思ってたら、今週の週プレ、堀江貴文西村博之が、タイムリーにその話題で対談していた。
 西村博之は、「法律として必要なのは理解してるけど、憲法違反だよね」というスタンスだそうだ。それに対して、堀江貴文は、「つーか、集団的自衛権だけを違憲だっつってるけど、そもそも自衛隊違憲なんだけどね。」
 このふたりがすごく頭がいいと思うのは、問題の核心をずらさない。だから、議論が噛み合う。
 ひろゆきが言ってるのは、政治の現実が集団的自衛権行使容認を必要としていても、違憲であるなら、それを立法化することはできない、ということで、それに対して、ホリエモンが言ってるのは、本来、違憲であるはずの自衛隊が合憲で通っている政治の現実があるなら、集団的自衛権だけを違憲だとしても、政治の現実として無効だということなのだ。
 この二つの意見は紙の裏表みたいなものだということに気がつくだろう。自衛隊集団的自衛権行使の容認が必要だという現実と、立憲主義のタテマエとが矛盾をきたしている。
 この矛盾を解消する方法はいくつかあるが、まずひとつには、自衛隊日米安保憲法違反なので、自衛隊は直ちに解散して、日米安保も破棄して、保有するすべての軍備を廃棄して、平和憲法に矛盾しない、真の平和国家として歩み始める。
 第二の選択は、政治的状況の変化に対応して、自衛隊集団的自衛権行使の容認を認めるが、それは憲法に違反するので、日本国憲法は廃棄して、正式に米国の属領となる。
 私としてはこの2つは非現実的だと思うがどうだろうか。
 ひろゆきが言うのは、集団的自衛権をみとめるなら、まず、憲法を改正すべきだ、という方法。
 ホリエモンが言うのは、それは正論だけれど、事実上、法案が頓挫するに決まっている。もし、正論をいうなら、違憲立法審査権を使って、裁判所に訴えれば良いのだし、それで合憲と判断されれば合憲なのだし、それでもまだ不満なら、最高裁判所の裁判官を国民審査で罷免すればよい。
 「だから今でもちゃんと牽制を利かせるシステムはあるんだよ。正論が好きなひとたちはそれを粛々とやればいいんじゃないの?」
 「たしかに正論でゆく道もありますよね。でも、ぶっちゃけ、それで法案を否決することは無理だと思いますけど。」
 面白いでしょ?。つまり、正論でいけば、法案の可決も否決も、両方無理だということになる。
 で、もうひとつ方法があって、そもそも、集団的自衛権行使が違憲ではないと解釈する方法。それだと、立憲主義のタテマエにも反しないし、政治の現実にも対応できる。で、安倍政権がとっている方法がそれなのだけど、何か?。

 というか、吉田茂内閣で、日本が独立を回復したと同時に、日米安保も成立したのであって、それ以来、日本がとってきたスタンスは全く変わっていない。だから、議論すべきはそこではなく、その現実を踏まえた上で、日本の外交をどうすべきかということなのであるが、「世界情勢は確実に変わっているわけやから。何か変えないといけない。なんかいまいち、だれもそれを言ってくれない」と、松本人志が言っているのは、その苛立ちだろう。
 もし、日本が平和であるとしたら、その平和は、安定した国際秩序の一部としてあるはずだし、日本が繁栄しているとすれば、その繁栄は、国際社会の繁栄の果実であるはずだろう。だとしたら、国際秩序が暴力で脅かされているときに、逃避的な態度を取るべきなんだろうか。世界の平和を簒奪すべきなのか、それとも、世界平和に寄与すべきなのか、それは言うべきもないことに思える。
 戦前の日本人は、日本は神国だから、戦争に負けないと思っていたという。信じがたいけど、ほんとみたいだと思うのは、どうもいまのデモを見ていると、日本には平和憲法があるから、戦争が起きないと思っているらしく見える。戦前の「神国」という概念と、今の「平和国家」という概念は、どれほど差があるんだろうと、首を傾げたくなる。
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