- 作者: スヴァンテ・ペーボ
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/06/27
- メディア: Kindle版
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なので、「ヌクレオチド」と「ヌレオチバ」のちがいもわからない通りすがりとしては、できる限り本題に触れない書き方をしたい。
ネアンデルタール人と私たちの祖先が交配したということを発表した後、「自分にはネアンデルタール人の血が混じっているんではないか」調べて欲しいという依頼がけっこう舞い込んだそうだ。ところが、そのほぼすべてが男性、女性の場合は、そのダンナとかカレシが「ネアンデルタール人じゃないかしら」という問い合わせになる。つまり、西欧人にとって、「ネアンデルタール人」は、なにか男性的なイメージを喚起するらしい。
ダーウィンが進化論を発表した当時の混乱(それも伝え聞くだけだが)に比べると、ずいぶんのんきな雰囲気。キリスト教徒であることと、ネアンデルタール人の血が混じってることが、生活感情として矛盾しなくなってるんだと思う。かくいう私たち日本人は、結婚式はキリスト教、葬式は仏教、お正月は神道で平気で、これといったバチも当たらず、日々を暮らしている。
かつては、そういう混沌を非近代的で未開な状態だと考えがちだったが、今はむしろ、そういう考えのほうが、ステレオタイプで教条的という時代ではないかと思う。
スヴァンテ・ペーボが研究の拠点とした、マックス・プランク協会は基礎研究を支援するドイツの団体だが、その前身は、1911年に設立されたカイザー・ヴィルヘルム協会で、ドイツが科学大国であった時代に、オットー・ハーン、アルベルト・アインシュタイン、マックス・プランク、ヴェルナー・ハイゼンベルグなど、科学界の巨匠を擁して、研究機関を創設、支援していた。
しかし、この協会が、ヒトラーの時代に、どのような運命をたどることになったか、兵器の研究をさせられることになったのは、想像に難くもないだろうが、なんといっても痛ましいのは、人種差別的な科学に積極的に関与し、アウシュビッツで人体実験を行った。
戦後、カイザー・ヴィルヘルム協会を後継したマックス・プランク協会にとって、人類学が、忌避されるテーマとなるのは、むしろ当然だった。戦時中の罪を問われることなく、教育者として生き延びていた者もいたのだ。
東西ドイツ統一から七年を経たそのころであっても、マックス・プランク協会が、人類学の研究機関を設けるべきかについては、それを検討する委員会を立ち上げなければならなかったし、また計画に異論もあったが、そんな中で、人類学の研究機関の創設者として白羽の矢が立ったのが、スヴァンテ・ペーボだった。
設立について事前に非公式な話し合いがもたれたが、そのとき、彼はこう言ったそうだ。
歴史を忘れるべきではないし、そこから学ばなければならないが、同時に、前に進むことを恐れてはならないのだ。その死から50年たってもなお、ヒトラーにできることとできないことを決めさせてはならない、とさえ言ったように思う。しかしまた、人類学のための新たな研究所が、人類の歴史を哲学的に思索する場所であってはならないということも強調した。そこはもっぱら科学をなす場であるべきなのだ。そこで働く科学者は、人類の歴史にまつわる純然たる事実のみを集め、それらによって自らの思考を検証しなければならない。
そうして、世界各国からすぐれた研究者たちが招へいされた。
錚々たる顔ぶれに圧倒される思いだったが、彼らが皆、ドイツ人でないということにも感銘を受けた。7年ほどドイツに暮らしているわたしが、中ではいちばん「ドイツ人」だった。このように愛国主義に左右されず、大規模な研究機関 (最終的に職員の数は400人を超えた)の手綱をすっかり外国人に預けることができる国は、ヨーロッパでは少ないはずだ。
ドイツに人類学の伝統がなかったことは、逆に言えば、学会のしがらみがないということでもある。そのことは、研究の自由にプラスに働いたのだそうだ。
だから、こういうことがいえないだろうか。この、ネアンデルタール人のゲノム解読という、驚くべき成果は、スヴァンテ・ペーボの地道な研究の成果であると同時にまた、ドイツの、ナチスドイツの犯した過ちについての、たしかな清算のひとつなのだと。
おそらく、私たち日本人にとっても、歴史の清算とはこのようなものであるべきなのだろう。
戦時中、カイザー・ヴィルヘルム協会に携わっていて、ナチスの横暴に悔しい思いをした人が、もし今も生きていたとしたら、マックス・プランク協会のこの成果に、ひそかに祝杯を挙げているだろうと思う。