右も左も戦争童貞

knockeye2015-08-05

 チェーホフの名訳者として知られている神西清が、チェーホフが書き残したノートを引用してこう書いている。

 「神あり」と「神なし」との間には、非常に広大な原野が横たわっている。まことの智者は、大きな困難に堪えてそれを踏破するのだ。ロシア人は、この両極端のうちどっちか一つは知っているが、その中間には興味を持たない。だからロシア人は普通まるっきり無知か、乃至は非常に無知なのだ。ーーーーーそんな意味のことが、チェーホフの『手帖』に書いてある。

 自民党の何とか言う国会議員が、戦争に行きたくないと言うのは「利己的」で、戦後教育のナンタラだと、述べたらしいが、戦争に行きたくないのは、人としてまったくまっとうな感覚で、個人的には、戦争に行きたくてウズウズしているような人とはつきあいたくない。
 それに、主権者である国民の代行として、権力を行使する立場の政治家は、戦争などという破壊的な状況へ、国を陥れない努力をすべきであるのに、かえって戦争を美化するかのような発言は許しがたい。
 しかし、アホらしいのは、たかだか「集団的自衛権行使の容認」程度のことで、こんな両極端な発言の罵り合いしかできない、この国の政治状況の薄ら寒さである。
 戦後70年、日米安保は、東アジアの安定に寄与してきた。この間、曲がりなりにも東アジアの平和を維持してきたのは、日米安保であって、中国、韓国、北朝鮮、インド、ロシア、といった近隣の国々は、不安定要素にこそなれ、東アジアの平和に貢献してきたとは、お世辞にも言えないはずである。
 しかし、東西冷戦がおわり、中国が経済的にも軍事的にも膨張する状況の変化に応じて、日本の外交政策も柔軟に対応すべきであって、それに応じて、日米安保のあり方も再点検していくべきでしょう、という話をしているだけのことなのに、あるいは、そういう議論をすべきなのに、この国の「右と左の旦那さまがた」は、まるで、童貞の妄想みたいな戦争論争に耽っている。
 今の日本国内の議論を、日米安保の一方の当事者である、アメリカの立場から見たらどんな感じがするだろうか?。ちょっと考えてみたらどうよ。幼稚としか言いようがないよ。
 現実的なリスクに応じた、外交政策を議論してくださいよ。税金で給料払ってんだからさ。