オスカー・ニーマイヤー

knockeye2015-07-28

 東京都現代美術館オスカー・ニーマイヤー展について書こうとしている。ル・コルビュジエと共同で、ニューヨークにある国連総本部を設計したブラジルの建築家だが、そのまえに、同じく東京都現代美術館で開催されている「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」という展覧会から、会田誠の作品が撤収されたいきさつについて、作家本人の声明があるので、紹介しておきたい。
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 横尾忠則の作品を撤去しろと韓国人が抗議したとき、ニューヨーク近代美術館がとった毅然とした態度に比べて、なんという違いか?。「ここはだれの場所?」も何も、「役人の場所」以外の何なんだ?。しらじらしい。
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 1960年に造営された、ブラジルの首都ブラジリアは、オスカー・ニーマイヤーが、ほぼひとりでデザインした。ブラジリアも京都も世界遺産に登録されている。桓武天皇が平安遷都したのは1200年前。なにか、時間の感覚が揺れる。ボサノバを創ったヴィニシウス・ヂ・モライスと写っている写真もあった。

 改めて、若々しい国なんだなぁと思う。そんな若々しい国に住んでいるのは、どんな気持ちのものだろう。ブラジルには日系人もいっぱいいるけど、漏れ聞いたところでは、世代が進むと、あっという間に融和してしまって、民族のアイデンティティーがなくなっちゃうのが悩みとか。何かうらやましい気がする。
 私たちだって遡っていけば、中国、朝鮮、東南アジア、色んな血が混じっているに決まってる。スヴァンテ・ペーボによると、私たちのDNAには、ネアンデルタール人との交配のあとがあるそうだし、大野晋によれば、ここで書いているこの日本語は、南インドタミル語と同系だそうだ。国民意識は、中央集権のために役人がでっちあげたご都合主義にすぎないのだが、まるで宗教みたいに信じてる連中、ホント、はた迷惑だな。

「20世紀最後の巨匠  オスカー・ニーマイヤー」というマーク=アンリ・ウォンバーグの60分の映画が見応えがあった。ブラジルは、一時、独裁政治に陥っていた時があって、共産党に入党していたオスカー・ニーマイヤーは、フランスに移住を余儀なくされる。フランス共産党本部は、オスカー・ニーマイヤーの設計。
 この映画は、2001年のオスカー・ニーマイヤーを映しているのだが、こう言っていた。
「昔は、貧乏人が金持ちを憎んでいたが、今では、金持ちが貧乏人を憎んでいる。」
 鋭い、と思うのだけれど、でも、なぜなんだろうと考えてみると、人は、ありえたかもしれない「可能性」にすがって、他人を憎むのかもしれない。世界が膨張していくときは、金持ちになれたかもしれない、なれるかもしれない、のに、自分は貧乏だっていう状況が怒りになりうる。でも、世界が収縮していくときは、自分は金持ちだけど、いつ貧乏になるかわからないし、貧乏だったかもしれないっていう惧れが、憎悪になりうる。いずれにせよ、それは執着だろう。妄念にすぎないものを、現実であるかのようにふるまうことで、信じてしまいたいのだろう。

 荒野に忽然と姿を現した都市が、歴史主義的でないのは、必然のように見えつつ、実は偶然かもしれない。ブラジリアがゴシックや、ルネッサンスの様式で建てられていたら、残念な感じだったろうと思うのは、今あるオスカー・ニーマイヤーのブラジリアから遡った感想にすぎないのかもしれない。たとえば、パリのノートルダム寺院、たとえば、フィレンツェの花の聖母寺、ル・コルビュジェのロンシャンの礼拝堂、そして、ブラジリアのドン・ボスコ聖堂、どれも美しい。どういうわけか、カトリックばかりだけど。
 書き忘れていたが、Bunkamuraでやっていた「ボッティチェリルネッサンス」という展覧会も観に行った。ルネッサンス人文主義ギリシャ古典の再評価は、キリスト教にとって、否定というのが過激なら、少なくとも、相対化であるのは、確かなことだろう。
 ルネッサンスにやや遅れて起こる、宗教改革という現象は、少なくとも、フィレンツェにおいては、反動にすぎない。巨匠たちの絵を広場に集めて火にくべたサヴォナローラは、今の私たちから見れば、半狂乱の教条主義者にすぎない。だが、宗教改革を経てきたからこそ、私たちは「信教の自由」を口にすることができる。誰も宗教から人間を追い出すことはできない。人間が神の似姿だとしたら、人間を賛美して悪いはずはない。
 ところが、ボッティチェリ自身は、サヴォナローラが火あぶりにあった後も、むしろ、彼に同情的であり、生涯、ふさぎの虫に取り憑かれていたようなのだ。
 なんか、オスカー・ニーマイヤーの憂鬱そうな顔を見ていて、何となく、この話を思い出した。