ナムジュンパイク

knockeye2016-08-20

 ワタリウム美術館にナムジュンパイクを観に行った。これはけっこう大規模な回顧展みたいで前・後期に分かれている。両方観たい方は展示替えの時期をチェックしましょう。
 ナムジュンパイクは、今観ても新しいな。フルクサスとダダの違いについて「フルクサスの方が面白かった」って言ってたらしい。面白いか、面白くないかが価値基準の人は信頼できる。
 1958年だったかその辺の文章に、「ボッティチェリは近代の入り口でもう自由の不安を感知していた」っていう、やや断定的な文章があって、私としては、「やっぱそうかなぁ」と思いつつ、そう言い切ってしまいたくない何かがあるんだけど、ボッティチェリほどの画家が、サヴォナローラみたいなアホウに引っかかってうだうだしてたのが、なんか悔しいのだ。
 ルネッサンスの頃から、結局、人は自由に飽き飽きしながら生きてるのかと思うと、なんか鬱々としてくる。美にも自由にも退屈しきって生きているとしたら、面白いか、面白くないかは、真善美なんかよりはるかに決定的な価値基準だと思うけど、ちがうだろうか。
 ナムジュンパイクは、韓国のエリート中のエリートだった。だから、と私は思うのだけれど、ネーションの網に引っかからずに済んだ。
 ナムジュンパイクやキムデジュンのころの韓国に、私はコスモポリタンな明るさを見ていたのだけれど、どういうわけでありきたりなナショナリズムに絡めとられてしまったのか。でも、そんなもんなんだろう。
 太田記念美術館で「こわい浮世絵」という展覧会を観た。
 怖いという意味では、月岡芳年が圧倒的に怖い。タイトルは忘れたけど、夜中に目がさめたら、横で寝てる嫁さんに、ムジナがのしかかって顔を舐めてたっていう絵があった。この嫁さんがすごく色っぽい。ムジナに顔を舐められてるのに熟睡してる、その眠りがエロい。
 先ごろの春画展なんかの江戸の春画には、こういうエロさは感じなかった。