『春画と日本人』(記事内に春画を含みます、当然ながら)

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横浜シネマリン

 先日に紹介した、田中美津さんのドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』は、横浜シネマリンでも、11月23日から公開されるそうだ。
 
 『春画と日本人』を観に行ったんだけど、ロビーのモニターに『この星は、私の星じゃない』のトレイラーが流れてて、カウンターの人に「これ昨日ユーロスペースで観ました」と言ったら「へぇ」と言われた。

 東京の永青文庫と京都の細見美術館で開催された春画展(2015年と2016年)をめぐるすったもんだ。
 あれも、大英博物館で好評を博した「春画展」を、そのまま東京国立博物館かどこかで、堂々と里帰り展をやったら、それでめでたしめでたしだっただけのことなんですけど、そうはならなかったので映画のネタになった。
 大英博物館の「春画展」が話題になった当時は、当然日本に巡回するものと心待ちにしていたのに、結局、どこの美術館も受け入れず、巡回展は立ち消えになった。
 日本の美術館関係者は、大英博物館の展覧会を「猥褻」だと判断したんだろうから、大した審美眼だと、皮肉りたくなるところだが、実際は、春画を猥褻と判断したわけでないだけでなく、そもそも、どんな判断もしたわけではなく、警察か、あるいは、文科省か、とにかく、自分の出世に影響が出そうなあたりの気分を害するかもなぁと思ったら、ちょっとまずいかもなぁという雰囲気を醸し出して逃げてしまっただけのことである。
 ここで起きている事態は「表現の自由」ではなく、「自己検閲」であって、自由も不自由もなく、表現以前に、思考が硬直している。この映画でも、春画の研究者の人が、「とにかく一人の逮捕者も出さずにおわってよかった」みたいな感想を言ってたのを聞いて、この国の警察の異常さに暗然とせざるえなかった。つうことは、仮に、この国に大英博物館があったとしたら大英博物館のキュレーターが逮捕ってことか?。
 現に、永青文庫春画展に出品された春画の所蔵家は、ロンドンのサザビーズで競り落とした春画の逸品を日本に持ち帰ろうとしたら、税関で没収されかける経験をしたそうだ。没収してどうするんだと訊いたら、ロンドンに送り返すと言われたそうで、「逮捕者が出なくてよかった」は、現場の実感であって、杞憂とまでいえなかったのだろう。
 永青文庫春画展のあとは、浮世絵展でふつうに春画も展示されるようになった。いまも、町田の国際版画美術館で開催されている「春信から歌麿、そして清方へ 美人画の時代」という展覧会では、鳥居清長の春画の名品≪袖の巻≫が展示されている。

hanga-museum.jp

 良くも悪くも、それがふつうだと思う。ネットに実際にセックスしてる動画があふれてるのに、浮世絵の中の春画だけ隠してるのがバカすぎる。

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歌川国芳 ≪逢見八景≫

 この歌川国芳が描いた、盥に映っている女性器の絵は、海外の、とくに女性に受けたそうだ。西洋では、ミケランジェロダビデでも、ブールデルのヘラクレスでも男性器は平気で露出しているのに、女性器はなぜか隠している。
 それで、こうして女性器をあっけらかんと、歌川国芳らしいユーモアとしゃれに満ちた構図で描いているのを観る、そのインパクトは、それこそアートのインパクトと呼ばれるべきものだと思う。
 

ヴァギナ 女性器の文化史 (河出文庫)

ヴァギナ 女性器の文化史 (河出文庫)

 キャサリン・ブラックリッジによると、西欧でも昔は、女性器に神通力が宿ると考えられていた時代があったそうだ。そのDNAが刺激されるのかもしれない。

 春画展の図録には、フランシス・ホールというアメリカの商人が、初めて春画を目にしたときのことを記した日記が載せられていた。安政6年、1859年の11月末だった。

まず、家の宝物を拝見してから、次に、家の主人がうやうやしく引き出しから「大変貴重なものだ」と言いながら出してきたのは、3,4枚の猥褻な絵で、それらを私に手渡してくれた。夫人も近くに立っており、二人の様子から、このような絵を見せることが、あるいはこのような絵そのものが、不謹慎であるとは少しも思っていないのは明らかだった。彼らはその絵を見る価値のある誠の逸品として私に見せてくれたのであり、また、大変大切に保管していたのである。

 今の私たちは、この安政のころの日本人夫婦の感覚はわからない。むしろ、19世紀末のアメリカ人商人の感覚に近い人が多いのではないか。違うのは、この時のアメリカ人商人が日記に記したように「これは、日本人がごく当たり前の良識的生活について鈍感で劣っている良い例である。」というようには思えないことだ。
 吉田健一が『ヨオロッパの人間』に、18世紀末に書かれた「ポオルとヴィルジニイ」という小説について
「ポオルとヴィルジニイが難船してポオルはヴィルジニイを救おうとするがポオルはその時裸でヴィルジニイはおとこの裸を見るよりはというので水死する。」
スタンダールやフィールディングより19世紀はこういう小説が好まれたそうである。続けて吉田健一はこう書いている。
「こういうのを猥褻と言う。これは道徳が道徳の観念になってその観念が歪められればそうなる他なくて十九世紀のヨオロッパで程道徳とか道徳的ということが人の口に上った時代はない。」
 日本が西欧と衝突した19世紀の欧州は運悪く、こういう時代だった。逆に言えば、こういう時代に対する反発として、日本の浮世絵がもてはやされたのかもしれない。一方でアカデミズムは長く印象派すら認めなかったのだから。
 19世紀のフランシス・ホールの日記の日本人夫婦とフランシス・ホール自身とどちらが「猥褻」なのか、再考を要するのはまちがいない。
 一方で、19世紀に西欧にであった日本人の方は、急速に、自由とおおらかさを失って、西欧社会に適応していく。その結果の功罪について、私たちは検討することができるが、いずれにせよ、安政6年のこの日記の夫婦の感覚はもうわからなくなっている。
 春画をリアルタイムで観ていたその感覚がわからないのであって、ということは、春画を「猥褻図画」だと見るその「猥褻」は、そう見る今の人の感覚であるにすぎなくて、現に、春画展に訪れた20万人を超すひとたちはそれを「猥褻」と感じないのだから、それを「猥褻」と感じる人たちの感覚にまで責任を取らなきゃならないいわれはない。どちらが歪んでいるのかしらないけれど。
 「性表現規制の歴史は、「自分より道徳的に劣る人々」を発見し、保護する歴史にほかならなかった! 」
と、東浩紀が書評に書いている『性表現規制の文化史』

性表現規制の文化史

性表現規制の文化史

という本を読んでみようと思っている。