慰安婦というファンタジーについて

knockeye2014-06-26

 河野談話の再検証は、なにはともあれ、この‘慰安婦問題’が、たぶんに政治的であることを、すくなくとも明らかにした。
 わたしにいわせれば、‘慰安婦問題’は、なかなか入り組んではいるが、しかし、そもそもファンタジーにはちがいない。
 だいたい、1990年代になって、「わたしは1940年代の被害者です」って、その告発が遅すぎるとは言わないけれど、その間、朝鮮戦争ベトナム戦争、米ソ冷戦終結、を経て、父ブッシュのイラク戦争の時代にようやく、太平洋戦争の被害者だと名乗り出るからには、告発の内容だけでなく、告発の経緯や背景も込みで評価されることになるのは、仕方ないことだろう。
 河野談話の再検証に対しての、韓国側のコメントに「おばあさんたちの生々しい証言こそが証拠だ」みたいのがあって、糾弾している側も、ろくに裏付け調査していなかったと白状しているようなものだが、「おばあさん」の「生々しい証言」だから、ウソじゃないだろう、みたいな、ほとんど愚にもつかないことが、わたしの‘ファンタジー’と呼んでいることだ。
 「韓国のおばあさんはウソつかない」という思い込みは、「皇軍兵士はウソつかない」という思い込みとまったく同質の、どちらも愛国者の独善にすぎないことに気がつくべきだ。
 もうひとつは、‘sex slave’というファンタジーだが、これもまた実体があやふやで、何を言いたいのか、そりゃ、すべての売春が、‘sex slave’といえばそう言えるが、その言い換えにどんな意味があるのか?。
 「慰安婦は売春婦だ」という言い換えと「慰安婦は‘sex slave’だ」という言い換えの間にある相違とは何なのか、わたしにはわからない。
 すくなくとも、近代以降、レイプのない戦争なんて存在しないだろう。すべての戦争、すべての戦場が、それぞれのレイプを経験している。レイプのない戦争は、それこそファンタジーだ。
 現に例を挙げれば、もっとも最近の、ジョージ・W・ブッシュイラク戦争でさえ、アブグレイブでは捕虜の虐待が行われたし、オバマは二期目の今でさえ、グアンタナモ収容キャンプを閉鎖していない。それに、ベトナム戦争では韓国自身が慰安所を設けているんだし。
 日本の慰安婦制度だけを非難するのはほとんど不可能だからこそ、「謝罪が足りない」という非難になるので、「足りる、足りない」は、韓国の腹の虫ひとつだから。
 「謝罪が足りない」のなら、その謝罪である河野談話を検証するしかないのだが、韓国側の反応といえば、竹島で軍事訓練を始める始末。ほとんど、同盟国の振る舞いとは思えない。
 こういう滑稽全体を俯瞰してみると、慰安婦問題とは、被害者ぶりたい韓国人、いい子ぶりたい日本人、正義の味方ぶりたいアメリカ人、の、まあ、それぞれの国によくいるタイプの三者が作り出した、ファンタジーだというのが、もっとも正確だと思う。
 もちろん、個々のケースは悲惨だけれど、それは戦争という大きな悲惨の一部分なのであって、太平洋戦争における日本軍のレイプを、それだけ「慰安婦問題」として切り分けるのはウソだろう。だから、「慰安婦」を、戦争を引き起こした国家主義の言葉で、お互いを罵りあう道具にしてしまうのは、国家主義者にとっては常套手段だが、平和を願うのなら本末転倒だろうと言いたいだけ。
 戦争にレイプを解き放ったのは、国民皆兵制度なのかもしれない。それ以前の戦争は、貴族の務めであったはずだ。貴族は普段仕事しない代わりに、戦争で死ぬ。ところが、国民皆兵制度以降は、貴族は戦争すら庶民に押しつけた。戦場におけるレイプは、そうした抑圧の代償だったかもしれない。